790076 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カテゴリ

フリーページ

カレンダー

2011.04.06
XML
「日本のために何か学校としてやりたいんだけども、何か良いアイディアはないかしら」
校長が電話口で唐突にこう切り出した。たまたま別件でルナの小学校に電話を入れた時のことである。ちょうど校長が電話を取り、用件を済ませた後にこういわれたときは正直言って非常にびっくりした。

震災があってからボストンの日本人社会も大きなショックを受け、異国にいて何もできないもどかしさを感じつつも、何か役に立つことをしようとさまざまな人たちがさまざまな形で活動している。

アメリカでは普段からチャリティー活動が盛んで、学校でも年に数回、恵まれない人に缶詰などの食料品を集めて送ったり、さまざまな募金活動が行なわれている。また、募金というと、募金箱を持って呼びかけるという姿がイメージされるかもしれないが、こちらではコンサートやさまざまなイベントにより集客を行ない、その目的の周知と募金を行なうことが珍しくない。よく大きな事件が起こると、有名ミュージシャンたちが終結してCDを作りその売り上げを寄付したりするが、それが一般人レベルの規模と内容ではあっても、普通に行なわれているのである。

今回も日本人の子供が多く通う学校ではベークセールと呼ばれる、保護者がクッキーやマフィンなどのお菓子を作って販売しその売り上げを募金するという取り組みが行なわれているのをすでに何度か耳にしている。私はそういった報告を見聞きするたびに、まあ、うちの小学校じゃ無理だろうなと思っていた。日本人は私一人、そして、学校自体もベークセールやPTA活動はほとんどない。そういったことをやる土壌のあるこの辺りの地元アメリカ人は、たいてい自分も通っていたという私立の学校に子供を通わせてしまうため、ルナが通うような公立校はほとんどが移民の子供たちや経済的にも苦しい家庭の子供たちが多く通っているという、典型的な都市部の公立の学校である。

その後週末が明け、私は義理おじの葬儀、校長は校長で学校のMCASとよばれる統一試験の準備や実施で忙しく、実際に電話で具体的な話ができたのは水曜日の夕方であった。校長は「寄付金1ドルを持ってきた子供は制服を着て来なくてもいいよデー。できたら日の丸カラーの赤白を着て来てね」という募金イベントを週明けの月曜日にやることを提案し、私は募金箱を持って子供たちに鶴を渡すということを提案した。そこで私は箱と鶴の作成、応募先の候補の提案、学校からこのイベントについて家庭に配布する手紙の文を考えることを依頼された。ちなみに同様のイベントはハイチ地震の時にも他の学校で行なわれ、2校で5000ドル以上を集めたという実績がある。

さて、そこで気がついた。

月曜日までに生徒と教師の分、合計350羽の鶴を折らなければならないではないか!

まあ、だいたい私はいつもこうやって自分で自分の首を絞めてしまうのである。
それをツイッターでつぶやいたところ、なんと、何人ものお友達が助け舟を出してくれた。中にはネット上ではやりとりはしていても一度もお会いしたことのない方までもが。水曜日の夜に泣きついたら、翌日の昼までに折り紙で鶴を折って郵便局から郵送の行動力。それは、特に子育てをしている人には本当に大変なことだったと思う。ただただ感謝の気持ちでいっぱいだ。その他にも、お花のレッスンのあとのお茶の時間や、たまたまブランチをしようと集まったお友達でブランチを注文してそれを待っている間の時間などに誰もが当たり前のように手伝ってくれたり、私の家まで他の人の分も合わせて持ってきてくれたりと、多くの手に助けられ、土曜日の昼までにはすでに350羽の鶴が集まった。
私は募金箱を持って立つつもりであったが、当日は授業もあるため、募金は各担任が教室で集め、募金箱は保護者や学校の来訪者向けに目のつくところに置いてもらうことになった。なるべくシンプルで分かりやすいデザインを心がけたつもり。

家庭に配布する文面についても、子供たちに分かりやすく、また、個人的な体験を織り込むことにより、いっそう身近なものに感じてもらえるようなものを考えた。校長じきじきの手直しが入ってイイ感じに仕上がり(笑)、これも水曜日の夜に原稿を提出して金曜日には各家庭に配布されるという超特急仕上げ。しかも、いつものとおり裏面にはスペイン語の翻訳付き(この学校の7割はヒスパニックの移民の家庭のため)。数字等は私の見間違いもあって少々異なっているが、大事なことは伝わったと思う。最後に私の名前まで入れてもらい、感激。

letter

金曜日の夜は学校で行事があったため家族で出かけたのだが、その際にも高学年と思われる男の子が2人、せっせと鶴折り内職をしている私のところにやって来て恥ずかしそうにドル札をそっと渡してくれた。自分のお小遣いからなのだろうか。なんと優しい子供たちなのだろう。
しかし、連絡の手段が学校からの手紙だけなので各家庭に知らせが届くかな(子供が親に手紙を渡すのを忘れたりすることもあるし)とちょっと心配していたら、日曜日の夜に校長の録音メッセージが電話で自動的に送られてくるという徹底ぶり(雪の休校などの緊急連絡はいつもこのシステム)。校長のスピード決定と効率的かつ効果的な準備方法にただただ脱帽。
当日、ほとんどの子が赤か白の私服で登校してくれていた。ありがとう!鶴を預けると、(校長が「(募金の)小切手はあなたに渡せばいい?」そこまでは責任持てませんがなっ学校から送って学校からっ!

娘がスクールバスで学校からピンク(やっぱり)の鶴を片手に帰ってきて簡単に学校での様子を報告してくれた。私は子供たちに「鶴をこんなに折る羽目になってかわいそう」と同情されていたらしい(笑)。娘は校長先生と一緒に各教室を回って鶴を渡したとか。
募金活動はその後も1週間行なわれ、集まった金額は350ドル。300人規模の小学校、イベントの趣旨のとおり、ちょうど1人が1ドル出した形だ。一つのイベントで数千ドル単位のお金が集まることも珍しくないこの辺りでの募金活動に比べたら少ないかもしれないが、こういうことは金額の大きさではないと思う。

ボストンの片隅にある小さな小学校で行なわれたこの活動が大きく日本でニュースとして取り上げられることは決してないだろう。でも、アメリカ、いや、世界各地に、こうして小さいけれども日本のために心のこもった行動を起こしてくれている学校はたくさんあると思う。小さい子は小さい子なりに、大きい子は大きい子なりに、このイベントを通じて感じたことを忘れないでいてくれたらこんなに嬉しいことはない。私も、異国で受けたこの優しさを決して忘れないでいようと思う。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014.10.15 12:16:03
[生活_ボストン・アメリカそして日本] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X