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ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

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2011.09.04
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アメリカで仏教式のお葬式に参列する機会があった。故人となられた方が日本人で、ご遺族の意向によるものだったが、あちこち当たってようやくアメリカ人の僧侶を一人、探し当てたのこと。会場は、こちらでは一般的な葬儀会館(Funeral home)で、その洋風で重厚な内装の部屋には、僧侶の袈裟姿や和風の装花も正直、少々違和感を感じるものだった。しかし、僧侶がお経を唱えだした途端、私の頭の中にお寺の畳の上で喪服姿の人々が正座して頭を垂れる情景がぱーっと浮かび上がり、お経独特の調子が自分の中にすーっと入って来て思わず涙がこぼれ出た。

後でよくよく考えてみれば、私の実家は神道で祖父母の葬儀も法事も神道式に行なって来たため、きちんとした仏教の葬儀に参列したのは母方の祖父の時だけである。それなのに、これだけ何の違和感もなく自分の肌に馴染むといった感覚はいったい何なのだろう。

これまでアメリカのキリスト教の葬儀には何度か参列したことがあって、私はいつもアメリカの文化を日本の同等の文化と比較して理解して消化するように努めていて、たとえば遺族が悲しむ様子などはどの国でも同じなのだなあと思ってきたりしたのだが、やはりキリスト教のお葬式は(日本人でキリスト教徒である場合は違うだろうが)いつまで経っても「異質な」ものなのだと、改めて衝撃を受けた。

葬儀の後、僧侶に一言お礼を述べに行った。”It sounded so much like home.”





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最終更新日  2014.10.15 12:00:02
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