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ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

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2012.09.30
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早いもので、渡米してから今年の11月で12年になる。

そうすると、こちらにいらしたばかりの日本人の方からは「日本とアメリカとどっちが良いか」という質問を良く受けることがある。

これは結構難しい。

日本の方が良いこともあるし、アメリカの方が良いこともある。だから、どっちが良いとは一概に言えない、というところが優等生的な答えではあるが、私は自分のアイデンティティーとの絡みがあって、さらに複雑化している、というのが正直なところである。

今、思い返してみると、小学校4年生で3年間のおふらんす生活を終えて日本から帰国して、
2000年にこの地ボストンに来るまでの約22年間は、私にとっては、少々大げさに言えば、日本社会に受け入れられてもらおうと最善の努力はして、かなりイイ線までは言ったものの、結局は完全には受け入れられなかった22年間だったのだなあ、ということである。
じゃあ、「アメリカの方が居心地がいいんですか」と聞かれると、そういうわけでもない。このボストンでの生活で気に入っている側面はいろいろあるし、逆に、もう、どうしても我慢がならなくて「ああ、日本に帰りたいな」と思わされることもある。ただ、ひとつ言えるのは、ここでは、受け入れられようと努力するストレスから解放されている、ということである。どうせガイジンなんだから受け入れられようなんて思わなくていいや、と自分が開き直れるから気楽なのである。

でも、私が本当に自分らしくいられて、受け入れられていると感じるのは、実はあまり場所とは関係がない。それは、たとえば、同じ境遇と言うことで年を経るごとに絆が深まっている日本語学校の親達であったり、フェイスブックを通じて昔と変わらずバカ話をしてもマジメな話をしても盛り上がれる高校や大学時代の友達であったり、合宿みたいな環境で苦楽を共にした元職場の仲間であったり、少しずつコミュニケーションを怠らずに努力して来たことが実って心を開いてくれた地元のママ友・パパ友であったり。それぞれ、暮らしている場所も、知り合ったきっかけも、今置かれている環境もいろいろなのだが、何かしら心のつながりを感じることができて、学び合い、支え合い、助け合えることが出来る人達との「場」が、私にはある。

そして、それが、私にとっては、一番身近な自分の夫や子供達も含めて、どこに暮らすかということより、大切で必要なことなのである。






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最終更新日  2014.10.15 13:08:58
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