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ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

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2015.07.06
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義母は1942年生まれの73歳。アメリカ南部の小さな炭鉱町の炭鉱夫の家庭に、5人きょうだいの三女として生まれ育った。炭鉱山は石油の普及とともに閉山され、父親(夫の祖父)は職を失い、若かった義母も地元では限られた仕事しかなく、二十歳そこそこで北部のボストンの親戚を頼って移り住んだ。そのようにして、現在はきょうだい全員をはじめ、多くの親戚がボストンに住んでいる。

その義母が通ったという炭鉱町の高校のOBOG会が、毎年7月4日の独立記念日の前後に行なわれているということは知っていた。義母と同じような理由で、高校卒業後アメリカ各地に散らばった卒業生たちが、年に一度、持ち回りで計画して集まる。今年はボストン地区の番で、郊外のホテルで、独立記念日をはさんでの4日間にわたり開催された。
義母はファミリーだの、このように大勢を集めてまとめるという事をこの上ない喜びとしており、この集まりも(恐らく)大張り切りで計画した。だいたい、毎年、この時期になると、何かの用事で子供達を見て欲しいと頼んでもきっぱり断られるので、今年もこの時期は連絡しないようにしていたのだが、何と、この集まりの一環である、独立記念日当日のディナー兼ダンスパーティーに私達家族4人が招待されたのである。

しかも、孫である私の娘をパーティーの最中に行なわれるくじ引きのチケット販売係に使いたいという。招待メールの内容を私が非常に意地悪なヨメ的観点で解釈すると、本当に必要なのはうちの娘だけなのだが、娘だけを駆り出すと、パーティー以外の時にも自分が面倒を見なくてはならないので、それは嫌。だから、私たち家族全員を招待するという作戦に出た、てなところである。ホテル代と孫達のパーティー参加費は負担するが、私達夫婦の参加費については「参加したければ」自分達で払えと。まあ、そういう内容だった。

いったいなぜ私が姑の高校の、しかも年寄りばかりの集まりにわざわざ参加しなければならないのだ。。。しかも私と夫のパーティー代は払えと。。。自分の親の学校の同窓会にさえ行った事がないのに。。。と、ただでさえ、義母の、絶えることのない、かなり強引な家族がらみの誘いに対しすでに辟易気味の私は大憤慨である。昔は夫にその都度、愚痴っていたが、間に入って義母に何か言ってくれるどころか、「いや、お袋だって悪気はないんだから」って、そんな分かりきったことを今さら言うかね、と気持ちのやりどころがますます見つからず、最近はすっかり諦めた。代わりに、気の置けない何人かの友達に愚痴って憂さ晴らしさせてもらっているのだが、この一部始終を今回は日本にいる母に電話で話したら、開口一番、

「孫が可愛いからみんなに見せびらかしたいんじゃない」

と言うので、大笑い。

結局、夫と家族会議をした末、まあ、ホテル代出してくれるって言うし、パーティー代をけちって参加しなかったとしても、ホテルのレストランで夕食をとったらどうせ一人そのぐらいしちゃうんじゃない、ということで、義母の招待をありがたく?受けることにしたのである。

後に判明したことであるが、娘と一緒にチケット販売係として働く「孫達」とは、全員義母のきょうだいの孫達、つまり関係者だった。さらに、ボストン地区の役員メンバーというのも全て親戚関係者ばかり。。。
考えてみれば、小さな炭鉱町に恐らく一つしかなかった高校だから、兄弟全員が同じ学校の卒業生なのは当然なのである。しかも、義母の元伴侶(私の夫はその姓を名乗っている)も同じ高校の卒業生。というわけで、私が会ったことのあるそのきょうだい達も全員集合。。。この集まりの参加者の約3分の1は私の夫側の親戚という、実は一族の集まりだったのかと混乱するばかりであった。。。

(つづきはこちら





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最終更新日  2015.07.06 08:44:09



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