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ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

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2015.07.06
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思い起こせば3年前の独立記念日は、夫が最初の脳痙攣の発作を起こした日だった。夫のただならぬ様子にたたき起こされた私は、何事かと慌てふためいて救急車を呼び、病院のERに入った時はまだ朝の8時を過ぎたばかりだった。その様子から脳溢血など血管系の病気も疑われたため、MRIの検査も受け、何時間も拘束された末、結局異常なしと言うことで解放されたのが夜の7時。町のど真ん中にあった病院の周りは、独立記念日のイベントに行く途中の人達で溢れており、その人の波に逆らうように進みながら、家族4人で疲れ切って家に戻ったのを覚えている。

あの日、義母は旅行でフィラデルフィアにいた。ERに着いた後、電話で状況をすぐ知らせたのだが、今思えば、義母はこの、年に一度の集まりに参加していたのだ。だから、義母の2人の姉達もそばにいて、親戚中に夫のことが電話で学級連絡網のように瞬く間に伝わったのだ。その、3年前の電話の向こう側の図が、今回のホテルのパーティー会場で、はじめて鮮明に、私の頭の中に浮かび上がった。同時に、その時の不安な気持ちや、状況を上手く飲み込めなくて混乱していた気持ちも思い出して、私は一人しばらく落ち着かない気持ちになっていた。

このパーティーの参加者の多くは70歳を超えていて、もちろん、既に亡くなった卒業生もいる。スピーチの端々に、年に一度、この集まりに参加できることが、どれだけ尊いことか、という思いが感じられた。

3年前のあの日、私はもしかしたら夫を失うかもしれないと思った。あの日から、死というものはそれまでよりもっと現実味をもって、私の頭の中に居座るようになった。私達や子供達の世代はまだまだ若いけれど、誰にとっても人生はいつまで続くか分からない。でも、いつまで続くか分からないからこそ、今、こうして大切な人達と一緒に過ごせる幸せをかみしめ、感謝しなければいけないのだ。

そんなことに気づく機会を今回与えてくれた義母にも感謝しなければいけないところだが、そこは人間が出来ていないヨメの私、家に帰る時間になって、「来てくれてありがとう」と言ってハグしてくれた義母に、「You’re welcome.」とつい本音がポロリと出てしまった。うわはは。ここで気の利くヨメなら、「いえいえ、こちらこそ楽しい時間を過ごさせてもらってありがとう」ぐらい言うのにね!

でも、いつもは傍でニコニコしながら義母を見守っているだけの義父が、今回は珍しく「いやー終わってほんと嬉しいよ」と、そっとボヤいていたぐらいだから、まあ、この勢い止まることを知らない台風体質の義母には、今後も(今後は?)巻き込まれない程度の距離で立ち位置守るのが無難かな、と。





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最終更新日  2015.07.06 08:29:28



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