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ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

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2015.07.19
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ボストン美術館(以下MFA)がモネの絵画作品『ラ・ジャポネーズ』の前で同様の着物を着てみるというイベントが抗議を受けて中止になり、その後、内容を変更をして再開したものの、今度は、抗議に抗議をする側も加わって議論が終わってないという件について、自分なりに考えてみた。

(関連記事 英語)
https://www.bostonglobe.com/arts/2015/07/18/counter-protesters-join-kimono-fray-mfa/ZgVWiT3yIZSlQgxCghAOFM/story.html

このモネの絵画は、モネの妻が、着物(打ち掛け?)を身にまとってポーズを取っている姿を描いたもので、その当時のフランスでの日本趣味(ジャポニズム)を反映した作品とされているようである。

MFAでは、これと同様の着物を用意し、それを訪問者に身にまとってポーズを取り写真を撮ってもらうことで、『あなたの中にあるモネを感じる』ことを促すというのが趣旨だったらしい。

それを、アジア系人権向上団体が、このイベントはアジア系に対する『人種差別』や、アメリカ社会におけるアジア系に対する誤った認識を助長するものとして、このイベントの前にプラカードを立って抗議をした。

これに対し、MFA側はイベントを中止し、そして、後日、この着物を展示し、試着は止めて、代わりに、着物自体やその当時のジャポニズムに対して質疑応答を受け付ける、という内容に変更してイベントを再開した。

私は最初にこのイベントについて聞いた時、正直、着物を身にまとうだけで、MFAのこのイベントの趣旨である、当時のジャポニズムの理解につながるとは思わなかった。ただ、このイベントは、おそらく、その当時もさほど変わらなかったであろう、日本文化に対する表層的な理解を繰り返すことはあっても、私は特にその中にアジア系に対する「軽視」や「蔑視」を感じなかったので、傍観するにとどまっていた。

でも、抗議したアジア系の人権向上団体は、それを感じたのだと思う。このイベントのプレゼンテーションの仕方に、アメリカ社会で見られる、白人のアジア系に対する蔑視や差別を感じて、それを助長するようなイベントのやりかたついて抗議したのではないか。

アメリカに長く住んでいれば、程度の差はあれ、「これは私がアジア人だから差別されているのかな?」と感じる対応に出くわすことはある。正式に抗議したこともあるし、笑って受け流したこともあるし、今回みたいに知らぬ存ぜぬを決め込んだこともある。

関連記事をいくつか読んでみたが、そこに出てくる "orientalism" や "(cultural) appropriation"という言葉が、この団体の抗議している理由のキーワードになると思う。
まず、"orientalism"というのは、訳してみれば「東洋風」という意味だが、これはやはりアジア系に対する蔑視用語になる。花にもOriental Lillyと呼ばれるユリがあるのだが、これは最近はAsian Lillyと呼ばれるようになったぐらいだ。
また、appropriationというのは私も最近知った言葉で、強いて訳せば「模倣」という意味であるが、特に、「ある特定の文化の服装や格好などをその文化に対してさして深い理解もせずに模倣する」というニュアンスで用いられることが多い。

結局、このモネの絵画の前で、「オリエンタリズム」の代表みたいなキモノを着てポーズを取って写真を撮るというイベントに対し、アジア系に対する蔑視とappropriationを感じるから中止してくれ、ということなのだったと思う。

この抗議を受けて、MFA側は「ある一部の人達の気分を害した」としてイベントを中止し、上に書いたように、もっと、当時のジャポニズムや着物そのものについて説明をするといった内容にしてイベントを再開した。

私は、この変更された内容の方がこの絵画と関連付けるならふさわしいと思うし、これなら実際に足を運んで説明を聞いてみたいなと思う。着物を羽織ってポーズを取ることによって、確かにそのずっしりとした重みとか、刺繍の精巧さや美しさや絹の光沢などを身近に感じることはできても、それはあくまで着物に興味を持ってもらうきっかけを与えるだけで深い理解につながるとは思わないし、よく観光名所でその風景がベニヤ板に描かれていて顔の部分がくりぬいてあって、そこに顔を突っ込んで写真を撮れる場所があるが、この当初のイベントの趣旨は、それと同じようなレベルに過ぎなかったのではないかと思うのである。しかも、そもそも着物自体や日本文化を理解してもらうこと自体がイベントの趣旨でなかったわけで、その、「自分の中のモネを感じてみましょう」という何ともあいまいな趣旨を提示することにより、そこに「白人のアジア系に対する蔑視が見られる」と取られる可能性もあったことをMFA側が想定しなかったとすれば、MFA側の認識は甘かったということだ。

白人が着物を着ること自体が問題なのでもない。白人(あるいは要するにアジア系人種以外の人)が着物を着ることによって、そこにアジア系および文化に対する侮辱や蔑視(あるいは無邪気な無理解)の意味合いを持つことが問題なのであって、結局はコンテクスト(文脈)の問題である。たとえば、うちの黒人の夫が黒人の家族の間で"You, colored people(おい、そこの色のついた奴)!"みたいなことを言ったりするが、これは「身内」の間のジョークになる。でも、これが、別の人種から蔑視の意味で言われたらやっぱりそれは蔑視である。

日本でもこのモネの作品が展示された際に同様のイベントがありおおむね好評だったらしいが、それは、着物が日本人にとって自国の文化であり、日本人が自分の文化の一部である着物を着ることに何も問題はないからである。しかも、印象派大好き、モネ大好きな日本人である。その絵画自体やイベントのやり方の中に、日本(というか東洋)に対する蔑視を感じた人は少ないのではないか。

また、このイベントに対して、日本の着物について知ってもらうのは良いことだからいいじゃないの、と言って、抗議団体に反論するのも筋違いだと思う。このイベントのそもそもの趣旨は、繰り返すように、着物や日本文化について知ってもらうことではなかったからである。私だったら、ただ着物を羽織ってもらうのではなく、実際に着付けたり、着物のさまざまな種類についてレクチャーするとか、そういう場と機会で貢献したいと思う。そういう意味では、イベント再開後には、着物について説明を加えたりという内容に変更をしたMFA側の措置に感謝したい。そして、最初のイベントの趣旨に対して抗議した団体が、趣旨変更後も抗議し続けている理由に関しても知りたい。

結局は、イベント中止前には、日本文化に対する理解やモネの描いた当時のジャポニズムに対する理解を深める機会にもならず、逆にアジア系に対する蔑視とも受け止められかねないMFAのプレゼンテーションの仕方がもたらしてしまっている騒動なのだと思う。









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最終更新日  2015.07.20 03:41:07
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