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カテゴリ:韓国
忠正路駅の近くにある公園の夜景です。小西門歴史公園と言います。
ソウル駅からも歩いて行ける距離にあります。 数年前、ここの近くにあった韓定食の大きなお店で観光協会の授業を受けてた人たちと一緒に年末の会食をしたので、その下見をしたときに帰りにこの公園を見に行ったのでした。 公園内に小西門歴史博物館があります。 この方角にラマダホテル&スイート南大門があって、ずっと歩くと崇礼門(南大門)があります。 夜景がとてもきれいでした。 カナダの作家ティモシー・シュマルツは この作品を通してイエス様が貧しいものをどれだけ哀れんでおられるか、 そしてどれだけともに苦痛を受けておられるかを芸術的に表現した とあります。 忠正路駅からあちこち歩いてみると、面白いと思います。 裏路地がいっぱいあります。 ちなみに、この小西門公園のあったあたりは、朝鮮時代は交通の中心地、産業的農業・水産業と手工業が発達したところだそうです。 朝鮮時代に昭義門とも呼ばれた小西門は南大門と西大門との間にあった間門でした。 アヒョンから小西門に向かう道にあるこの小西門の外側の公算天一帯には江華島を通ってヤンファジン・麻浦・龍山の船着き場に着いた三南地方(忠清・全羅・慶尚)の物流が集結した都城に搬入される通路でした。都城の内外をつなぐ陸路が交差し、城底十里(朝鮮時代当時、漢城部に属し、城外地域で、漢城部都城から4km(10里)以内の地域のこと)内の繁華街の一つでした。 また、この小西門の外の交差点は、タンゴケ、セナムト、ジョルトゥ山と共に、朝鮮時代の公式処刑場でした。 これは、サジク壇の西側に処刑場を置かねばならないという”礼儀”の教えに従がったものです。 また、小西門外の交差点が政府の司法機関である刑曹・義禁部と近く、近くの人が行き来するチルペ市場と接していて、一罰百戒が可能な空間的特性を備えていたということもあります。 朝鮮時代の小西門外での刑行記録は燕山10年(1504)から記録に登場し、罪人はここで頭、胴体、手足を切断する極刑を行った後、頭を切って死身をさらしものにしたという内容です。 また、正祖が死んだ後(1800年)からは性理学的秩序を脅かす存在であると認識された天主京(カトリック)に対する処刑に主に使われました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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