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テーマ:ヨーロッパ旅行(4254)
カテゴリ:ドイツ
2009/01/23写真を追加。 * * * 朝食を同室のオーストラリア女性ととる。エレーネという56歳の女性。 今日はニュルンベルクの観光スポットを歩き回った。 大晦日だということで、人々が浮き足立っている。普通の店は大体13時ごろで閉まる。観光地も同じく。なので、結構駆け足で見所を回った。画家のデューラーの家がユースのそばにあるので、写真を撮影。あとは、午後12時にフラウエン教会の仕掛け時計が動くので、それを待って写真撮影をした。午後再度フラウエン教会を訪れたところオルガンの演奏中で、すばらしかった(教会の音楽はよく分からないけれど)。 お隣のカイザーブルクからの眺め。 デューラーの家。 滞在中二度行ったビヤレストラン。 フラウエン教会。 正午の仕掛け時計の様子。 教会内部。 主な観光スポットはすでに散策済みだったし、毎日、カイザーブルク城までの道(主な見所が集まっているシュロス通り)を通っているため、先日ユースのスタッフに教えてもらった中央駅の反対側にある楽器屋さんに行ってから、夕方五時前にはユースに戻って、エレーネとおしゃべりをしていた。楽器屋さんは1時頃に閉店してしまっていて、少し間に合わなかった。こちらの楽器屋は、結構大きくてYAMAHAの文字もある、まともな店のようだった。管楽器がたくさんディスプレイされていて、チェロも飾ってあった。きっとヴァイオリンも置いてあったと思うので、残念☆ 夜になると花火が上げられるという話をエレーネがフロントのスタッフから聞いてきた。私が別のスタッフに聞いたところ、ユースの隣(というかユースが城の一部)のカイザーブルク城から新年を祝う打ち上げ花火が見られるとのこと。 それで、夜中になるのを待っている間に日記を書いている。エレーネはポルトガルに行くので、ベッドで寝ながら電車の情報を調べている。 今日は書店で予定外でドイツ語の本を買ったので、食事は倹約して、ユースでレーゲンスブルクのスーパーで買ったパンを食べた。大晦日と新年は倹約の精神から、かな。 韓国からの二人連れが加わって、四名での部屋の利用になった。二人は姉妹で、26歳と24歳だそうだ。姉は小学校教師、妹はビジュアルデザインを学ぶ学生。 エレーネと一緒に写真を撮影した。実は私たちが最初に出会ったのはドレスデンのユースホステル。それが、偶然ここニュルンベルクのユースでも同室になった。ドレスデンのユースでの最後の朝食時に別れの挨拶をしたら、"I may say, see you again"と言われた意味が、今朝方分かった。私は知らなかったが、彼女もニュルンベルクに移動する予定だったのだ。職業は、現在はリタイヤして無職。弁護士をしてから判事をしていたそうだ。バイク事故で足を粉砕骨折して手術とリハビリを繰り返し、医者からは車椅子生活を宣告されていたのに、自力歩行ができるようになったので、それをきっかけに自分の可能性を広めるためにとアメリカ・イギリス・欧州を半年間旅してるのだそうだ。あと二ヶ月、旅をするとのこと。ドレスデンでは、私にあった翌日ぐらいに、オーストラリアに移民した曽祖父の家系(つまり自分の親族)をたどって、小さな街を訪れたのだそうだ。オーストラリアを発つに三日前に、彼女の伯母が曽祖父が住んでいた場所などを伝え、自分の姓からルーツをたどったのだそうだ。たどり着いた小さな村で、親切な村の人の助けを得て、自分の伯母に当たる人に会えたという奇跡的な話を聞かせてくれた。初めて会った78歳の伯母は、現在残る三人の自分の"ドイツ人の親族"のなかで唯一曽祖父のことを知っている人だったそうだ。 多くの日本人にはありえないが、自分のルーツを辿る旅をしてみたということだ。すでに新年を迎えているオーストラリアからのメールをチェックしたところ、現在妊娠中の娘さんの状態がよくないらしく、流産を覚悟しなくてはならないとのこと。それをかなり気にしている様子。な ドレスデンで私を怒鳴った女性を彼女も知っていたので、例の一件について話をした。エレーネ曰く、その女性は離婚した際に得たお金を息子に譲ったら息子も離婚してしまったため、お金がなくなってしまい、平素から苛々している不機嫌な人物だったそうだ。何回か朝食を一緒にとったが、好ましい人物ではなかったので一緒に書に食事をするのをやめたとのこと。私が文句を言われたのは、私個人の問題ではなく、その女性自身に起因することなので、気にせずに忘れてしまったほうがよいとの意見だった。 外から人々が個人的に打ち上げている花火と教会の鐘の音が響いてくる。 新年まであと3時間ある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 23, 2009 07:42:21 PM
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