111590 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

50からの旅立ち  酒飲み女の独り言

50からの旅立ち 酒飲み女の独り言

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

2014.05.19
XML
カテゴリ:日記
NEC_0831.JPG



私の母は再婚し岩手でまだ元気で生きていますが
母と17歳の時別れて以来、33年の間に会ったのは2度。
その2度のうち、1度は岩手の駅で1時間ほど過ごしただけでした。
TELで話したのも、数えるほどです。
この約10年程、向こうが気まぐれで2年に1度位の頻度でかけてきます。


もう、寂しい気持ちもありません。
私と母の縁というものを考えるにつけ、縁が薄いサダメなのだと確認するだけ。


父との結婚を悔い、母は乳飲み子の私を抱いて列車に飛び込もうとしたと
私に教えてくれました。
今まさに飛び込もうとしたその瞬間、乳飲み子の私が火が付いたように泣いた・・・
だから、飛び込めなかったと。


そして弟に、1度も父を愛したことはない・・・
子を身ごもったからしかたがなかったと話したそうです。
その身ごもった子と言うのが私です。
母はいつも何の悪気もなく
天使のような顔をしてこんな話をする人です。
これを聞いた弟とそれを知った私は、
だから、私達子供を捨てられたんだ・・・
冷たく深い湖の底に、沈んでいくような気持ちでした。


私達が両親から受けた傷は、かなり根深いものがありました。
しかし、救いが必ず用意されていました。
私達には、その時々に、心の支えになる人が両親以外に与えらえていたんです。


母の妹にあたる叔母が私達兄弟にとって、大切なその人でした・・・
叔母は6年前に亡くなりました。
その思い出は、いつまでも心の中にあり、今の私を支えてくれています。


叔母は准看護師でした。
長い間、重度障がい児の施設で働いていました。
叔母は身体が丈夫ではなく、心臓の病気を抱えながらも
それでも、ハードな仕事を続けていました。
何でそんなに頑張るの?小学生だった私は叔母に尋ねました。
叔母は、にっこり笑って、
施設にいる子達が可愛くて可愛くて仕方がないんだ・・・といいました。


叔母はとても厳しい人で、よく叱られました。
子供達は(叔母の子供2人と私達3人)皆一緒に窓拭きをしたり掃除をしたり
音楽を聴いたりダンスをしたり、餃子を包んだり、ピザトーストを作ったり
クリスマス会、誕生日会の飾りつけ。
いろいろと一緒に何かをさせられました。
その作業は楽しく、父母の不和で不安定な心を忘れさせてくれました。


私達の心には叔母の溢れる優しさと、愛情が焼き付いています。
両親の別居、離婚問題で私達はこの叔母の家に同居していたことがあり
その短い期間の出来事が、一生の宝となって
その後生き抜く力の源になった気がします。


叔母は、私のダメな父を決して悪く言いませんでした。
母は父の悪口雑言をいつも言っていましたが、私は我慢も限界になり
或る日、どんなにひどい父親でも私達の父だからもう言わないで、と母に言ったのです。
すると母は激高し私に、今すぐ家から出て行け、とコートを着せました。
真冬の寒空に私を追い立てる母を制し、庇ってくれたのも叔母でした。


私が最後に母と会ったのは・・・
この叔母が膵臓癌になり、もう長くないかもしれないと連絡があったのです。
私達姉弟は3人で叔母に会いに青森へ行くことにしました。
3人で旅行は初めてでしたし、東北に行くのも何十年ぶりでした。
その時、叔母が母と再会できるよう設定してくれたのでした。


しかし、母はバレリーナの自慢の娘とその彼氏を連れてご機嫌な様子で現れました。
再婚相手との間の娘、妹になりますが初対面でした。
多くの言いたいことも、思いも何もかも
またぐっと飲み込んだ私達3人でした・・・まあ、今までと何も変わりませんが。


違和感のある母との再会の翌日、入院している叔母に会いに行きました。
前日無理して病院から外出許可を貰い、私達3姉弟を自宅で出迎えてくれた叔母。
遅れてやってきた母達を見て、複雑な困った顔をしていた叔母。
心配かけまいと精一杯笑顔でいてくれた叔母。
短い時間でまた病院に戻っていった叔母の後姿を思い出すと、
本当はとてもしんどくて辛い状況だったはずなのに・・・今も涙が溢れてきます。


病床で叔母は私に、空気が読めないお母さんで本当にゴメンネ・・・
と何度も謝りながら私の名を呼び涙を流しました。
叔母の癌は、もう手術ができない状況だったのです。
病院での姿を見て、叔母の病状を私達ははっきりと知りました。
モルヒネで余り動けず、意識も朦朧としていましたが
私達のその時の心情に寄り添ってくれたんです・・・




私は、新しい職場でおそらく来週位から働く事になるでしょう。
その道は、その叔母が与えてくれた道、
叔母が私に示してくれていた長い間気付かずにいた道のような気がします。


叔母を思いながら、精一杯やってみます。



長い文章に最後までお付き合いくださって、ありがとうございましたひよこ









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2014.05.19 15:24:55
コメント(12) | コメントを書く
[日記] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X