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カテゴリ:歴史・城
先日、豊川沿いを走っていると吉田城に囲いが掛けられていました。 これはイケテルさん・・(池田輝政)が成し遂げることができなかった城整備なのかと・・・? この吉田城、もとは今橋城と呼ばれ1505年このあたりの豪族・牧野古白が今川氏親の命により築城したとされています。(今川氏親は今川義元の父上ですね) その後、松平氏と戸田氏の争奪戦が繰り広げられ、1546年に今川義元が攻略して城代を置きます。 「桶狭間の戦い」の後、城は徳川家康に攻略され、家康の重臣であった酒井忠次が城主となります。 そして、豊臣政権となり秀吉により徳川家康が関東へ移封されると1590年に池田輝政(通称:イケテル)が15万2千石の城主になり、城下町の大々的な整備をはじめました。 1600年の関ヶ原の戦いで功績を残した後、播磨52万石(播磨一国支配)で入城することになるため、吉田城の整備は途中となってしまいました。 この吉田城、その後も城主が頻繁に変わり、整備が未完成のまま明治を迎えてしまいました。 ちなみに現在の姫路城の形跡を残したのは、この池田輝政・通称イケテルさんです。 ですので私はこの吉田城を勝手に出世城と呼んでいます。 国宝四城のひとつでもあり世界遺産でもある姫路城と、このようなところでつながりがあるとは、吉田城も侮れませんね。 春先に観てきた姫路城は本当にすばらしいものでした。⇒⇒⇒ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 8, 2010 09:23:24 PM
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