仕事が始まりました。
楽しいとは言えない。私の魂の修行のような感じです(汗)
神経質な私は、仕事でミスを指摘されたり自覚すると、とっても焦ります。
「失敗してはいけない」って思うからです。
これって、痛い思い込みなんですね。
私は今回の仕事入って、こんなに自分は出来ない人だったのかと
思い知らされました。(泣)
でも、
思い知ったのは私という人格ではなくて、、、「思い込み」の方だったのです。
何の話?と思うかもしれませんね。
自分の心を覗いて見たとき「不安」が「全く無い」という人は
おそらくいないんじゃないかと思います。
何らかの不安を抱えていても、それに上手く対処しながら生活しているのだと
思います。
不安が自分の首を絞める?
そういう事態に遭遇したこと、、、ありますか?
私は、ないです。
私は不安と同居しつつ、結構平気で暮らしてる方だと思います。
不安がないと生きていけない?
案外、こういう人も多いのかもしれません。
不安、心配等をつれて歩きながら、安心できるかどうかを確認しつつ。
何か、何を書いているのか、判らなくなってきましたが、、、。
要するに、安心する為に不安をつれて人生を歩んでいるのでは?
という気がしたのです。
希望としては「不安のない人生」の方が良いです。決まってます。
でも、私はきっと「不安を連れて」生きてきたのだな~と思いました。
だって私は、
「不安がない」なんて言われたら、余計不安になる。
「不安はあるけど、対処できる」と言って貰ったほうが、安心できるからです。
昨日ある人があるhpに書いた言葉を読んで「なるほど」と思いました。
『根拠のない「ポジティブ」なんてありえない。』
そうですね。
自分が出来る最高の最善を今、尽くして生きて、
目の前にある「やるべきこと」に最善を尽くして生きるなら
自分の前に「悪いこと」はなくなるし「不安」も無くなるんだと。
あるのはただ「今やるべき事」と「私に相応しく、必要な出来事」だけだと。
少しずつ悟るというか、目が覚めて判ってきた気がしました。
例えば、
仕事が大変なら、それをこなせる実力をつけて黙々と前進すればいい。
上司が私をいじめる(?)ならそれを成長の為の訓練と感謝して笑えばいい。
そういう事なんですね~♪
私にとって必要なのは「不安」ではなく「確信」なのだと。思います。
不安を振り払うことに躍起になるのではなく、自分をしっかりと見つめ、
今目の前にある課題にたゆまず努力する自分であり続けることが
「不安」を同伴しない生き方をするって事なんですね。
人生を生きていくうえで本当に大変なことなんて、そんなにあるわけじゃない。
だから、自分を信じること。
答えはかならず「自分の中にある」と信じることなんだな~。
と、今、心からそう思える自分がいます。
【最善を尽くし自分を信じよう♪:スタイリッシュ でした♪】