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テーマ:介護(377)
カテゴリ:介護
皆さん、こんばんは~~~
義父の”介護”を開始し、あの”凹んだ魔の一日"を乗り越え、 なんとか慣れ始めた先週でした。 先ブログでもお話したとおり、十五夜の夜は三人で月見酒 その翌日から、えらい大変な事態に。 翌日、義父は起きられませんでした。 夜、夫(義父にとっては息子)が帰った時に、ちょっとベッドに起きただけ。 頭は確かで、夫が出したクイズにもしっかり答えた。 が、その翌日には調子はさらに悪くなった様子なので、 訪問介護のシステムがしっかりしている病院に往診を依頼。 先生の見立ては・・・ 「極度の脱水症。大変厳しい状態です。 いつ何が起きてもおかしくない状況とご認識ください。」 そして帰りがけに先生は・・・ 「もし万が一の場合ですが・・・ 見込みがある場合は、勿論、病院へ転送いたします。 見込みの無い場合はどうされますか? 『病院へ運んで機械をいろいろ付けるか』 『”コチラ”で過ごされる(看取るか)か』・・・」 夫は勿論のこと、私もきっぱりと言いました。 「義父は入院が苦手で、在宅を熱望しておりました。 ですので、その時は病院へは運ばずコチラで(看取ります)。 ”その時”は先生のご判断をよろしくお願いいたします。」 その翌日も、先生は往診してくださった。 さて、その日から、一日二度の訪問介護が始まった。 体制は24時間体制。 「何かあったら、気兼ねせずに電話をしてください」とのこと。 ひゃあ~、凄いもんだよねえ (ああ、私、看護婦さんにならなくてよかったぁ。) 看護婦さんの処置の方法をメモメモ 病人の看護なんてまともにやったことのない私にとっては、 本当に勉強になっています。 コレもまた、義父が私に与えてくれたものなのでしょう。 実は私、ケアマネージャーさんと看護婦さんに言われてるんだぁ。 「一生懸命になると大変ですから、ほどほどにしたほうがいいですよ。 用事だってあるでしょう? 少しの間なら(父を)置いて出ても大丈夫ですよ。 介護や看護っていうのは、気が落ちる時もあります。 だから…言葉は悪いけれど”手を抜きながら”・・・ね。」 私ね、いい子ぶるつもりはないのだけれど、 感じていることがあるのですわ。 それは・・・ 子育てを終え、”誰かの役に立っている感”がなくなっていた私。 そんな私にとって今回のこの事態は、充実感すら覚えてる。 ものも喋られなく、やっとのことで頷くことしか出来ない義父だけど、 笑顔は今まで見たこともないほど、天真爛漫な可愛い笑顔なんですよ 頑固&わがまま(ワンマン)&偏屈で有名だった義父。 かつて新婚時代には、 義父 「もう二度とここの敷居はまたぐなっ」 私 「ハイ、わたくしもそのつもりですっ。 もう二度とここへは参りませんっ」 なんてやりあった義父と私でしたわぁ そんな義父が今現在は寝たきりになり、 私が顔を見せる度に、ニッコリ笑って応えるのだ。 まるで、赤ちゃんみたいな笑顔でね。 寝たきりになってから私、義父の枕元に時々PCを運んでます。 義父の好きな”昭和の曲”をいっぱいかけてあげるの。 それどころか、実は、私・・・ 枕元で、よく唄を唄ってるのですぅ だって義父は、私の唄が好き。 先日まだ車椅子に座れていた頃、 テレビに映っていた演歌歌手を見て、 義父 「(ステッチの)人生、間違ったな。 歌手になっていれば、今頃こんな風になっていた。 いっぱい稼いでいたかもしれない。」 なんて、言ってたわぁ だから夜になると我が家は・・・ 私の歌謡ショーが始まりまぁ~~~す 題して・・・『ステッちゃん、昭和を唄う』 ~みたいな 先日一時帰宅した息子は、ソレを見て・・・ 息子 「いつも、こんなことしてるの」 熱を出す日と平熱の日が、交互にやってくる毎日。 明日は電動ベッドも入るので、上体を少し起こしてあげたいところ。 そして、今の私が心待ちにしているのは、 ”呼びピンポンが鳴る”こと。 今現在は手も動かない義父に、是非ともそのピンポンを押してほしい。 ソレが、今の私の切望するところかな。 いつもお運びいただき、ありがとうございます。 わたくしは、このとおりの生活を送っております。 皆様のところへなかなか遊びにいけませんこと、 どうぞご容赦くださいませ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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