鶴城跡、百々精練所跡探索
鶴城跡・百々精練所跡の探索鶴城跡とは我が家が建つ場所のこと。戦国時代、我が家はかつて鶴城という城が建っていた。奥州管領の大崎氏、同族の百々氏の居城だったところ。大崎氏亡き後、ここは一時伊達家の城となった跡地。更に、昭和初期、ここに金の精錬所が作られたのです。百々精練所です。今回、田尻観光ボランティアガイド友の会が作られましたが、地元の歴史、観光資源の深堀をする事に成り、田尻の中を6班に分かれて探索する事に成りました。当方は我が家を担当となりました。歴史に詳しいK先生(元教員)にも参加してもらい、周辺を探索となりました。鶴城あとから見つかった板碑を案内しました。田尻の歴史本にも出ていません。今回初公開です。相当表面が長い年月で摩耗しています。1枚は我が家のところで見つかったものです。戦国時代か江戸時代に記念に作られたもの。何が書かれているかはっきりしません。石は石巻の素材です。かつて、ここ内陸部と石巻は水運でつながっていました。ここで作ったコメは、かつて江戸の台所だったのです。この日の参加者は4人地層を確認しています。砂金が含まれやすい地層。ここは金の精錬所あとですが、砂金もとれる場所なんだそうです。ここから数km離れた場所に金の鉱山があったのです。同じ地層なのだそうです。隣の町の涌谷は奈良の東大寺の大仏へ金をおこったところ。金はここから運ばれたのですよ。かつては簡単にとれたのでしょうね。ここが百々精練所跡、かつ鶴城の居城があった場所。昭和18年に破壊して閉山した。参加者びっくりでした。はじめて見た人は地元にこんなものが残るとは,つゆしらずです。ここは今竹林週末、当方が筍をとるところです。精錬所あとコンクリートの構造物が残っています。ここにワイヤーで運ばれてきた精練する石が運ばれ,ここに投入された場所。深さは数mです。ここはワイヤーリフトを固定する台の跡。数km離れた金山からワイヤーロープを使って、鉱石がここまで運ばれてきたのです。コンクリートの台には、しっかりアンカーボルトが固定されています。ここは当方が子供の頃は畑でした。いまは竹林です。ここもかつては精錬所の跡地です。また鶴城の跡地。今ここにビービーツリーを植えています。ミツバチ用に植えた木です。今年も花が咲きました。でもミツバチがいません。