カテゴリ:面談道
先日、私たちの会社の氏神様である江東天祖神社の宮司が
訪ねてくださいました。 来年のお札をわざわざ届けてくださったのです。 > 亡き祖父は、生前、江東天祖神社の地元氏子総代を勤めていました。 また、毎年、仕事始めの5日は会長以下社員一同でお参りをして お祓いを受ける、深くありがたいご縁をいただいています。 先代の宮司が先にお亡くなりになって、今は、私と同年代の ご子息が宮司をお勤めになっています。 偉大な先代を持つ同世代の後継者同士という共通点もあり、 なんとはなしに話が弾みました。 その中でも「二つの話」がとても心に残りました。 一つは、お父様が亡くなられてから、あらためて その偉大さを思い知らされたというお話です。 先代の宮司は晩年体をお悪くされていたので、 実は、数年前からご子息が神事の一部を代行されていました。 ですから、各町内の氏子のみなさまと 神社の代表者として既に交流する機会も多かったはずです。 ところが、先代の宮司が亡くなった後、 息子でさえ知りえなかったお父様のエピソードを お話をしていただく機会が増えて いかに多くの人から慕われていたか がわかったというのです。 その存在の大きさを感じつつ、 ありがたいことであると、 しみじみおっしゃっていました。 もうひとつ驚いた話は、宮司様の厄除けについてです。 同世代ということは、厄年ということで、 厄除けの話題になったのですが.... 宮司は厄除けをすることができないと おっしゃるのです。 なぜなら、みなさまのお願いを 神様に届けるのが宮司の仕事であり、 自ら願をかけるわけにはいかない とおっしゃるのです。 といっても、それが神社神道の決まりというわけではありません。 ご存知のように、もともと神社神道は長い歴史がありながら 教義らしい教義がない世界でも珍しい宗教です。 そこで、戦後「敬神生活の綱領」が作られたのです。 ですから、若き宮司が守っているのは、 父が自らに課して守ってきた、いわば家訓のような教えなのです。 当初、それはおかしいと思うこともあったそうですが、 今では、その教えを忠実に守ろうとされているそうです。 その親子代々の気概に感銘しながら、 わが身を振り返って思うことがありました。 私も五十鈴川で禊した神社神道章ボーイスカウトの1人ですが、 幼い頃、正しいお参りの方法を学んでから、 現在にいたるまで困ったことがあるのです。 神前で衿を正し、真っ白な気持ちになることに集中するあまり、 実は「願をかけようにも願がかけられない」のです。 ですから、先日、東京都現代美術館で、 オノヨーコさんの美しいアート「ウィッシュツリー」を見て 言葉も無く感動したのですが.... いざお願いをかけようとしても、 何も思い浮かばないのでした。 決して、いつも満ち足りているわけでもなく、 日々苦労だらけ悩みだらけなのではありますが.....。 常々少々自分が異常なのではないかと思っておりましたが、 宮司のお言葉で少し救われた感じがいたしました。 ただし、かくも自らに厳しい宮司さまですが 「自分のことは願えなくとも、子供のことは願える」 ....そうです。 その一言にまた深く共感して、 さらに尊敬を深めたのでした。 ▼江東天祖神社 http://nari4mu.cool.ne.jp/03-1--koutoutenso.htm ◎ただいま久米繊維「第二創業」人財募集中! 久米 信行@縁尋奇妙 http://kume.jp/ http://t-galaxy.com/news/ http://jentle.co.jp/ http://t-galaxy.com/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.12.16 14:42:46
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