【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

おばさんが作った死語ブログ。人生いろいろに語ります。

おばさんが作った死語ブログ。人生いろいろに語ります。

Freepage List

September 24, 2002
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 随分手話を学んでいた友人が「手話の勉強、しばらく休むよ」と、便りがあった。彼女は「手話」がこれほど流行りだす前から勉強を始め、県内のろう協でも少しは名前が知れた人材だった。彼女はおばさんとは幼馴染で、彼女が会長を務めた手話サークルへ入会する事からおばさんの手話勉強は始まっているのだ。

 「なんで?」ありきたりの質問を投げ掛けてみる。彼女の言い分はこのようだった。

 随分と長く「手話」を学んできたけれど、最近の「手話サークル」が面白くない。サークル員の皆、何のために「手話」を学んでいるのか、さっぱりわからない。見えない。もちろん、聾唖者とコミュニケーションをとる為の手段の「手話」なんだけど、ボランティア活動するわけでなく、やろうよと誘えば、「家の用事があるから」とか「あたしはまだ手話が下手だから」と消極的。参加して下さってる聾唖者の方とその時ばったりの会話をして満足している。下手すりゃ健聴者同士で下らないおしゃべりをして帰って行く。見ていて歯がゆくてたまらない。自分はこのサークルで育ち、先輩に叱咤されながら、悔し紛れでも我武者羅に「手話」を覚え、多くの場に極力出掛けて多くの聾唖者の人達と会話を心掛けた。最近のサークルは自分の所属するサークルの外へ出ようとしない。これでいいの?と疑問を投げ掛けても、・・・先輩風吹かしちゃって・・・ぐらいの態度しかしない。参加していても、面白くないんだよ・・・。

 「だけど、聾唖者のために『手話』を学ぶ、という観点にもどればいいじゃん。」とおばさんは取り繕うような質問をしたりする。

 だけどね、考えてみてよ。今は「メール」「FAX」「筆談」「チャット」とか、会話をする手段は現にある。これから先「手話」がどれほどのニーズがあると思う?確かに聾唖者の全員がパソコンだのケータイだのを持ってるか使いこなせるかは問題だけど、聾唖者にとってはこれらは生活に必需品となるでしょ。健聴者の贅沢品とは違う。そんな事を考えると、「手話」ってホントに必要なのかなって考えちゃうわけ・・・・。

 そう言われれば「なるほどね・・・」と納得してしまうおばさんであるが、なんとなくしっくり来ない。
 よせばいいのにこんな愚問もしてみる。
 「もしかして、ボランティアに疲れたんじゃないの?そろそろ報酬の得られる仕事でもしたら?」・・・・全く失礼な質問である。

 彼女は笑って答える。
 そんな気にもなれないな。みんなと一緒に何かを成し遂げる、あの達成感がいいのよ。手話を真剣な表情で見つめる小学生、聾唖者との集いを計画した時のあのみんなの笑顔、それを見た時、あぁやってて良かった・・・ってしみじみ思うのよ。それがいいじゃない。だ、か、ら、そんな実行力がなくて、達成感もない「今時の手話」がイヤなの。流行りもんじゃないのよ、「手話」の勉強って・・・

 おばさんは、それ以上の質問や説得は無理だな、と思う。彼女はもしかしたら「手話」の世界から本当に居なくなるかもしれない。しかし、他のステージで何か見つけて同じようにきっと頑張るだろう。そう願うしかない。
 ボランティアの心を語るにはおばさんも「人」が出来ていないが、何か役に立ちたいと思う心にはやはりまず敬服する。結果的に彼女は、腹が膨れなくなって去っていくのであるが、これも「手話」を学ぶ限界と考えてしまったら、今から学ぼうとする健聴者の励みにはならない。現にこのおばさんも彼女の話と姿を見ていて、本当に手話は必要なのか?と自問してみたりするのだ。
 でもまぁ、今はぼつぼつと前を向いて歩いて行こう。勉強する事、学ぶ事というのは本来こんな姿を言うのかも。

 何の為に「手話」を学ぶのか?・・・・これは学ぶものにとって永遠の課題であり、聾唖者・難聴者にとって、年々増加する手話を学びたがる健聴者へ、幾度となく投げ掛けていかなくてはいけない問題だ。もちろん健聴者本人もこの課題から逃げてはいけないのだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  September 24, 2002 02:46:15 PM
コメント(5) | コメントを書く


PR

Profile

153

153

Comments

コメントに書き込みはありません。

© Rakuten Group, Inc.