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秋である。地域ごとで「なんとかフェスティバル」だの「なんとか祭り」だのと交流、地域活性化の催しが多い。
おばさんの居住地域も御多分にもれず、秋のフェスティバル、まぁ昔で言う「文化祭」がある。 おばさんの所属する手話サークルも今回のために「手話歌」を観客の前で披露する事になって、目下特訓中である。 この手話サークルは毎週一回平日夜間に行われる手話サークルで、おばさんは二人の幼児の世話の具合で時々しか通えないが、手話の講師である聾者のご夫婦がとても熱心に企画、運営されているので、おばさんも俄然やる気が沸いてくる。情熱が情熱を呼ぶのである。炎と化したおばさんは、長男を配偶者に預け、長女と共にそこに通う。平日夜間のサークルは圧倒的に会社勤めの人が多く、子連れのサークル員はほとんどいない。長女は4歳、ともなれば、一人遊びが出来るので、目の届くところに母親が確認できれば、お利巧さんである。それをいいことに母親たるおばさんは、手話の勉強、今は「文化祭」のための手話歌の練習に集中するのである。 今回の歌は「さんぽ」(となりのトトロ)と「大きな古時計」である。なんで今更「大きな古時計」が流行るのか?いわゆる「癒し系」だからかな?ふむ。なんでもいいが平井堅、おばさんは無精髭は嫌いなのだ。 おばさんは歌が好きである。歌を歌うのも聴くのも好きである。上手ではないが下手でもない。だから、手話歌も人前で披露する事に特別躊躇しない。 「手話」を始めたきっかけは?と聞くと、よく「『星の金貨』を見て『手話』に興味を持ったから」という人が多い。でも、おばさんは「手話歌」を見たからという人ももっと居てもいいのじゃないかと思う。 「手話歌」については賛否両論で、どう表現しようとしたって聾者には「歌」は解らないから「手話歌」なんて意味がない、と主張する聾者も現に存在するし、「手話歌」に取り組む健聴者シンガーも存在し聴覚障害者のためにコンサートを開いている例も多い。 「手話歌」に関する考えは様々であるが、とりあえずのおばさんの考えは、歌を「手話」で表現する事は、会話を「手話」で表現する事とはまた違いがあり、これまた楽しさに富み、表現力の豊かさが大切なのである。「歌」が聞こえなくても「詩」は読める。その文章からのイメージを広げ、「手話」でその「詩」の深みを表現する、とでもいうのであろうか。カラオケでエコー効かせてガンガンがなり自己陶酔してる輩よりは迷惑かけてないと思うんだけど。 てな事で、おばさんは「手話歌」が好きである。そして、「手話歌」を歌う人は、本当に心を込めて体で表現するので、皆、優しい顔をしている。おばさんも子育てに翻弄され、眉間に皺がよりっぱなしでたぶんそのまま皺になりつつある日々であるのだが、この練習の間ばかりは顔つきも心も、誠に優しいおばさんになっているのだ。 本番は11月3日。皆の熱気に押されながらも、おばさんも頑張るのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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