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おばさんが作った死語ブログ。人生いろいろに語ります。

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December 28, 2002
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 ここのところ寒さが厳しくて、ついつい「おばさん」が「おばぁさん」のように背を丸め、「さぶい、さぶい」(寒い、寒い・・・の意)と呟きながらじっとして動きたくない。二十年来の、ぎっくり腰の後遺症みたいな、刺すような痛みも、気候を告げてくれる病気みたいなもので温シップを長女に貼ってもらいながらお付き合いしている。
 それでもやっぱり家事というのはやらねばならず、眉間にしわ寄せながらもおばさんはボツボツとこなしている。
 
 田舎に住んでいると「クリスマス」というのはさほどの行事ではない。サンタの存在を信じて止まない子供たちはこの行事には沸きかえり、狂喜・乱舞をしはするが、新興住宅地の飾りまくった電飾デコレーションの家の派手さくらいが話題になるくらいだ。田舎で暮らす人々は着々と「正月」の支度をする。
 おばさんもこの地で生まれて暮らして、最近やっと山での暮らし方が少し解ってきた。慣れて来たというのだろうか。まだまだここら辺の長老にとっては「ひよっこ」なんだけど。

 今日もおばさんは、生ゴミをついつい溜め過ぎてしまい、重くなったバケツを提げて畑の端っこに向う。生ゴミ用の穴があって、そこにバサッと捨てている。ちゃんとフタもあるので、夏もさほど苦にはならないが、冬は生ゴミも土中で凍ってしまいバクテリアと格闘する事もなく、どんどん積み上がるばかりである。そんな穴の中を覗いていると、昔、トイレを「トイレ」と呼ばず「便所」と呼んでいた時代の、上から見下ろした時のどんどん積み上がってくる「それら」が毎回毎回気になって母に泣いて訴えた事を思い出す。・・・そんな記憶にフタをするみたいに急いで生ゴミのフタをする。
 寒さで猫背になりながら、おばさんはバケツをブラブラと揺すりながら家に向かい歩いて行く。まだ夜ではない。といって日があるわけでもない・・・・遠くの山を見上げると、日が落ちたところ、という位か・・・。冬の夕暮れには太陽に対する惜しみがたい感情が湧かない。落日への執着といえばやはり夏の方が強いだろう。冬には太陽は正午を中心に現れる通行人みたいなもので、それ以外はどんよりした曇り空や厚着をしていても骨の奥まで沁み込んで来る山の風やあるいは他の季節には見られないキリッとした星空が印象的で、太陽の出番は11月の頃に「小春日和」と愛でられるのが最後くらいだろう。逆に言えば、だからこそ太陽が朝からキラキラとお出ましになれば、それはそれで貴重な一日となり、家々の窓は開け放たれ、布団が体裁よく干され、洗濯物がこの日ばかりは楽しそうに北風と群れている。
 子供の頃、時間を忘れて山・畑・田を駆け回った。もちろん四季を問わず走り回った。冬には多少ぬかるむところはあるが段々になった田を端から端まで走ることに何とも言えぬ開放感を味わう。秋に生い茂ったすすき野原は冬にはパキパキと音を立て折れる。そのミイラ化した茎は私たちの「剣」にもなったし、「矢」にもなったし、あるいは「敵」となり、手にした剣や矢によってどんどん倒されていった。
 遊び疲れて畦に腰を降ろし、ふと見上げた時、見慣れた山に日が落ちている。冬の夕暮れは早い。日が落ちるというより、太陽が迫ってくる夜の暗闇に消える、といった感じか・・・。それを見て驚き、急いで自転車にまたがり家路に着く。また母親が心配しているだろう。心配というより、叱られるかもしれない。今日もまた叱られるのかと心配している自分に気が付く。ペダルにも力が入る。頬にあたる風も気のせいか夜の気配がするのだ。

 これも一種の郷愁というものだろうか。
 冬の夕暮れには、一目散に家に帰る子供の頃の自分がいつも思い出される。あの山も田も今も変わらずにあるし、ここで暮らして来た自分も、これからもここで暮らして行くだろう。多くの住宅が立ち並ぶのと同じくして山々の景観も変わっては来るけれど、故郷が変わっていくのを見続けるのも自分の力ではどうしようもないから、かえって楽しいかもしれない・・・・。

 





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Last updated  December 28, 2002 02:53:20 PM
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