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いわゆる「たなぼた」と言うのだろうか、ちょっとこの表現では関係者にひんしゅくをかうかも知れないのだが…。
一年前の2月24日、おばさんはこんな日記を書いた。(過去の日記) これにはこのHPに来て下さっている方から激励のメッセージを頂いたりして、当時おばさんは感激し、奮起したのであった。 しかしながら実際、手話サークルを設立するには、聴障者の協力だけでなく…、う~む、簡単に言うと、ここでは簡単に書ききれない協力や根回しが必要であることがわかり、今年の1月の段階ではほぼあきらめていた。だったら今通っている手話サークルの役員を務めさせて頂き(現に立候補したのだが)、サークル運営のノウハウを勉強する一年にしようかと思ってこの新年度を迎えた。実際の所、おばさんのような3年4年手話を学ぶものはゴロゴロ居て、じゃぁ手話を学んだからといってオマエ何が出来るんだと言われても、ちょっとした日常会話。聴障者の為にこれが出来る!というほどの実力もない。ましてや、資格も持ってないので公の場に出ることも許されない。 「手話サークル」というのは聴障者あって成り立つものなのだ。おばさん如きの「目立ちたがり精神」だけでは「手話」は「趣味」「カルチャー」の域を超えられず、本来の意味をなくしてしまう。 激励メッセージを下さった方に「あ、あの目標は無理だった。あっはっは、アタシの知識不足よ。あんな目標とんでもない目標だったわ。」などというわけにもいかず、モジモジしていたおばさんであった。 ところが、物事というのはどう転がるかわからないもので、おばさんが通っていた夜の部の手話サークルが参加者の減少化、講師の聴障者の都合で取りやめとなった。取りやめになった代わりに、これまた講師の都合で平日昼間の手話サークルを新しく始める事となり、その方が好都合であるおばさんはホイホイと参加したのである。しかしながらまだ始まったばかりで、人数も少ない。講師であるろう者と夜の部から移ってきたサークル員わずか3名。その中で役員を決める事となり、このおばさんが代表になったのである。いや別に自分で手話サークルを興したわけじゃないのだが、結果として一年前に立志した「平日昼間開催の手話サークルを作る」ということにあてはまってしまった。 手話サークルの「代表」や「会長」という言葉には「手話」の奥深さが解り始めて以来、とんでもない荷の重さを感じる。 おばさんは、いやはや、牡丹餅をどうしたものか、じっと見つめて考え続けるのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 2, 2003 02:44:02 PM
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