|
カテゴリ:日記
こんにちは 教会では今日は昇天(キリスト教用語でクリスチャンの方で亡くなった人は天に上げられるという意味)者記念礼拝でした。 でも面白いなぁって思わされたのはそこには暗さが微塵もないのです。礼拝の賛美も決して悲しみを誘うような曲は歌いません。イエス様を喜び崇める曲ばかりです。 「死は終りではない」ということ、そしてそこには希望があるということです 礼拝が始まったとき、賛美を導かれた方がこんなことを言っていました。 「今日は昇天者記念礼拝です。何人もの信仰の先輩の方々が先にイエス様のところに行かれました。そのことをうらやましく感じます。クリスチャンにとってそれは大きな喜びです。皆さんは早く行きたいですか?」 すると会衆から数人の「アーメン」という 声が聞こえてきました。 するとその人は「そうですか。行ってらっしゃーい でも私たちが生きているのには意味があるのです。神様からの特別な任務があって生かされているのです。それが終わったらこの先輩方のように天に上げられイエス様のところに行けるのです!」 ☆★☆★☆★☆★☆★ クリスチャンになって一番の喜びは人は死んだらお仕舞じゃないということです。 クリスチャンは罪が赦されているので、死んだらイエス様のところに行けるのです。 その時はもう地上での苦しみも病もすべてありません。 そこに希望があるんです。 でもだからと言って死に急ぐことは決して良くないです。自殺は絶対にいけません。 この地上に生きていることは意味があり、神様から特別なご計画があるからです。 その任務が終了したら天に上げられるのです。 今日は礼拝をとおしてそんなことを思い巡らしました。 ではでは お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|