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テーマ:クリスチャン・ライフ(754)
カテゴリ:みことば、信仰
こんにちは まずデボーションについてですが、デボーションというのは日本語で言うと「静まる時」とか「静思の時」などと言われています。 で、どういうものかと言うと、静まって聖書を読んで、その聖書のみことばをとおして神様が何を自分に対して語っておられるのかを聞き、それを適用するということです。 今日、神様は私たちに聖書のみことばを通して語ってくださいます。その語ってくださっていることばを聞くためには聖書のみことばをゆっくりと読み、そこから聖霊を通して聞くことです。 これがデボーションの意味です。 さてさて、このデボーションですが、ぼくは「リビングライフ」というデボーション雑誌を利用して毎日しています。 これはデボーションをするための月刊誌で、聖書のみことばとその解説が書かれている雑誌です。 その内容はオンヌリ教会という韓国の教会の日本語のホームページ上で見ることが出来ます。こちらからどうぞ♪ ここでは毎日聖書箇所とその解説がアップされています。そしてその聖書箇所からのメッセージ番組が日本時間の夜中の12時に毎日更新されて放送されています。それもこのホームページから見ることが出来ます。オンヌリ教会の日本語部の先生がメッセージされています。 ☆★☆★☆★☆★☆★ さて、それはそうと、今日はこのリビングライフの中に書かれていたショーとメッセージを紹介します。 読んでいてとても恵まれました。 こういう内容です 違う形の愛 グラハムが3歳の時、ストーブにつまずいて転び、左目の上が裂けて病院に担ぎ込まれたことがありました。看護士たちは息子を子ども用ベッドに寝かせると両手を固定しました。 医者がグラハムの頭を縫うとき、私は息子の手をぎゅっと握りましたが、グラハムが叫び声を上げたときには、ほとんど冷静さを失っていました。 「パパ、パパ、おじさんがぼくに痛いことするよ!やめてって言ってよ!パパ、やめてって!!」 胸が張り裂ける思いで、立っているのもやっとでした。 グラハムは私を自分の保護者だと思っていました。その私が何故自分を保護してくれないのかと叫んでいました。 もちろん、私は彼を保護していましたが、今回は彼を保護する方法が違っただけでした。 とにかく、彼の傷を縫い合わせないまま放置することは出来ず、痛みに苦しむ彼を黙って見ているしかありませんでした。
医者がグラハムの傷を縫う間、他の人が彼の耳にこのようにささやいたと考えてみてください。 「グラハム、お前の父親は本当はお前を愛していないのさ。そうでなければ、お前が今こんなに苦しんでいるのに放っておくわけがないだろう。お前が俺の息子だったら、こんな苦しみには会わせないだろうに。」 これが、私たちが苦難に会うときにしばしば現れる敵の霊的な姿です。 神は私たちに最も良いものが何であるかをご存知です。 しかし、私たちの敵は「神が本当に私たちを愛しておられるならば、私たちが試練に会わないようにされるはずだ」と言って、私たちを誘惑します。 これは近視眼的な考えです。私たちがこのような嘘に耳を傾けるなら、霊的に大きな打撃を受けることになるのです。 ー根の深い霊性は揺れ動かない/ゲーリー・トーマス ☆★☆★☆★☆★☆★ 読んでいて、凄く的を得ているなって感じました。 それと共に最近、自分の立ち位置というか、自分がどこに目を向けているか、思いを向けているか、そして何を聞いているのかということを思わされていました。 私たちは聞くものによって振り回されてしまいますよね。ぼく自身もそうです。その内容によってはグルグルになってしまうこともあります。 でもグラハムくんのお父さんと同じように神様はぼくを愛していてくださり、どんなときにもぼくのために最高を愛を注いでいてくださっているんですよね。 苦しい時や悩みの渦に入れられている時こそ、イエス様の御声を聖書のみことばをとおして聞くことが大切なんですよね。 今朝デボーションをして、その後この文章を読んでいてそのことを思わされました。 もっと主のみことばを聞きたいです ではでは
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