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テーマ:クリスチャン・ライフ(754)
カテゴリ:みことば、信仰
こんにちは この一週間、忙しくて忙しくて、、、と言いたいところですが、そうではなく、 また書いていきますので、どうぞよろしくお願いします さてさて、今月は新約聖書のヘブル人への手紙を毎日読んでいます。 リビングライフというデボーション雑誌の中にあるコラムでとてもよい記事が書いてありましたので、今日ははその記事を紹介します。 とりなし手イエス・キリスト 私にはすべての人に話したい驚くべき知らせがあります。それは私たちが恵みに満ちた祈りの働きにあずかるときも、その祈りの働きは私たちによるものではないということです。 ヘブル人への手紙の著者は、イエス・キリストが私たちの大祭司であることを思い起させます。 よくご存知のように、大祭司の任務は、民の代わりに神の御前でとりなしの祈りをささげることです。このことが何を意味するか知っていますか? 私たちが活動している昼の間、イエス・キリストが私たちのために祈っておられます。暗闇の中で眠っている夜の間も、イエス・キリストが私たちのために祈っておられます。 永遠なる神の御子(イエス様)が神の御座の前で私たちのために絶えず祈っておられます。今日もイエス・キリストは、あなたと私のために祈っておられます。 しかし、これよりももっと驚くべき知らせがあります。想像さえつかないかもしれませんが、神は私たちのたどたどしい弱い祈りを通して「ご自身」と永遠の対話をされます。 ポサイズは「私たちが神に向かって話すとき、実際は私たちの中に住まわれる神が私たちを通して、神ご自身と対話を交わすようなものである。・・・・厳密に言うと、恵みの対話とは、自ら愛をやりとりする神の独白である。」と言っています。 トーマス・ケリーも「私たちは祈る。しかし、実際の祈りの主体は私たちではなく、私たちの中に住まわれる神である」と言いました。実に驚くべきことです。 ー神とともに世の中へ / リチャード・フォスター
イエス様がいつもとりなしていてくださっている、って凄いことですね しかも昼間も真っ暗闇の夜もです。 最近、思わされているんですが、「苦しいなぁ~~~」「辛いなぁ~~~」っていう真っ只中の時、嵐のようなとき、その只中でイエス様は御父にとりなし続けてくださっているんですね。 そして私たちの祈りを通して天のお父様と対話をしているって凄いことですね。だから祈りって大切なんですね。 それがたどたどしい祈りであってもです。流暢な詩を読んでいるような祈りじゃなくても、たとえたどたどしくても、その祈りを通してイエス様は天のお父様と対話をされている、自然体で主と対話をする時もそうだし、「主よ、助けてください」って祈ったら、その祈りを通して大祭司であられるイエス様は御父に届けてくださる。 私たちの内に住まわれているイエス様、このお方が私たちの祈りを通して天のお父様と対話をしている。励まされますね そんなこんなで、クリスチャンであるっていうことは凄いことなんだなぁ~って感じています。 ではでは お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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