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カテゴリ:バイブルスタディー、礼拝メッセ
こんにちは~ ご無沙汰しています。1週間以上お留守にしてしまい、大変申し訳ありませんでした<(_ _)> またこれからなるべく頻繁に書くつもりです。 さてさて、今週の日曜日の礼拝のことを今日は分かち合います。 今週の日曜日のメッセージ、とっても励まされました☆ 今、箴言を礼拝で読んでいるんですが、今週の日曜日の礼拝のメッセージを通して内側にビンビンと響きました。 この礼拝の中で何が響いたかというと、メッセージの中でこんなことを言っていたのです。 箴言14章4節にこのようなみことばが書かれています、
このみことばからこんなことを言っていました。 「私たちが人生を歩む時は汚れがあります。失敗のない人生などありません。 でも、失敗は人生の中で一番酷いことではないのです。私たちにとって大切なのは失敗を恐れないことです。 私たちが何かをする時ってリスクがありますね。でも恐れることはありません。 主に従うということは、信じて何かをするということです。もし恐れて何もしないのなら、それは従うということではありません。 聖書に出てくる人物、アブラハムにしてもダビデにしても何らかの問題を持っていました。確かに失敗はあったんですが、でもその中で多くの実を得たんです。 私たちの人生の最後に神様のために何をしたか、それが大切なんです。」
これを聞いた時、内側がす~っとしたんです。そう、失敗してもいいんですよね。それを恐れる必要もないんですね。気持ちが楽になりました。
また同じく箴言14章10節にはこんなみことばが書かれています。
このみことばからこんなことを言っていました。 「私たちの内側には誰も知らない心の深い部分があります。その深い部分は主だけが理解してくださっているんです。 主だけが私たちの心の奥底まで理解してくださるお方です。その主と私との間には誰も入ることが出来ません。 私たちがするべきこと、それは誰かに理解を求めるのではなく、主が心の奥深くに働かれることを赦すことです。」 このように言われ、詩篇139篇1,3,6節を読まれました。
神様は私のすべてをご存じなんですよね。自分でも気づいていない部分、封印してしまっている部分、すべてをご存じなんですよね。 神様にその内なる全てを探っていただき、その奥深くに働いていただくこと、それが大切なんですよね。 聞いていてとっても励まされました☆
箴言15章1節にはこのようなみことばが書かれています、
このみことばからこんなことを言っていました、 柔らかな答え、それをするためには主に私たちの歩みに介入していただくこと。そうすることによって相手の人の激しいことばが沈められるって。 牧師自身もそれを経験したことがあるそうです。 私たちの毎日の生活で主に介入していただく、本当に大切なことなんですよね。 毎朝のお祈りで「主よ、あなたが私の今日一日の生活にご介入してください。そしてあなたが私の歩みを確かなものとし、柔らかな答えをする者と導いてください」ってお祈りしています。 主に介入していただく、これはずっと心に響いています。
箴言15章11節のみことばからも語られました、
神様は全知全能のお方、時空間を超越されています。だから神様はすでに地獄を見られています。それがどんなに惨たらしいとこかもご存じです。 だから人がそこに行ってほしくないと願われているんです。 聖書に書かれている神様の警告って情熱的ですね。それはこの願いの現れなんです。
このお方に信頼し、このお方を恐れる心、私の人生を主に支配していただく、それを願う心が大切なんですよね。
このお方に支配していただく歩みをしていきたいって思わされました。
今週一週間、明日でターニングポイントですね。今週の後半も主が皆さんの歩みに介入してくださるよう、心からお祈りしますね☆ ではでは
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