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テーマ:クリスチャン・ライフ(753)
カテゴリ:デボーション
こんにちは~ 今日はリビングライフというデボーション雑誌から教えられたことを分かち合います。 今、リビングライフではルカの福音書1章のイエス様のご降誕の箇所となっていますが、今日はイエス様の母マリヤがエリサベツというバプテスマのヨハネの母親の所に行き、そこで励ましを受けるという箇所でした。 それでなんですが、このリビングライフに今日の聖書箇所にちなんだコラムが書かれていて、その文章がとっても良かったので皆さんにも分かち合うことにします。 こんな内容です♪
☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆ エリサベツの働き 2千年前、ナザレのマリヤは聖霊によって身ごもりました。 マリヤは世のあざけりと嘲笑、ささやきの対象となってしまいました。 彼女の心は崩れ落ちました。 主のしもべとなることを決断しましたが、従順の代価として返ってきたものはあざけると蔑視だけでした。 彼女は村の人々のひどい噂話に背を向け、親戚のエリサベツを訪ねるためにナザレを離れました。 「よく来たわね、愛するマリヤ!さぞつらかったでしょう。でももう悲しまなくていいのよ。神様の特別で素晴らしい道具であるマリヤ!あなたは祝福された人なのよ!」 この言葉がマリヤの傷ついたたましいを貫き、彼女の痛みをいやしたのです。 マリヤは歌を歌いました。 マリヤが抑えきれない喜びと感謝を表現したこの歌は、数世紀の間、"マリヤの賛歌(The Magnificat)"として知られてきました。 私たちはエリサベツが言ったことばを私たちのことばとしなければなりません。 世に出て行って、傷に無感覚になってしまっている人々を救わなければなりません。 ただで受けた恵みであるなら、ただで与えなければなりません。 私たちは神の御声なのです。 世の人々にマリヤ頌歌(しょうか)を歌わせる刺激剤なのです。 私たちはエリサベツの働きに加わりなさいと召しを受けました。 世に向かって「あなたは祝福された人です」と叫ぶとき、傷ついている世がいやしを受けるのです。 ☆++☆++☆++☆++☆++☆
本当に今日、人々の心は傷つき、からからに乾燥した土のような状態であると思います。 その心を癒やし、潤すにはイエス様の十字架の愛しかないですよね。 イエス様の十字架の犠牲によって私たちの罪は完全に赦され、もはや神様の目に無いものとされています。 この祝福の恵みを伝える時、人々の心に聖霊の水が注がれて潤されます。 この文章を読んで、祝福を流し出す器でありたいなって思いました。 そして人々を優しく愛をもって励ます器でありたいと思いました。
ただ一つ気をつけなければならないのは、イエス様の十字架の赦しを受け入れていない人たちは「祝福された人」ではないです。 厳しい言い方かもしれないですが、イエス様の十字架という犠牲のささげものによって初めて「祝福された人」です。 生まれながらの古い人は祝福ではなく、呪いの中に生きている状態です。 この部分はとっても大切なことだと思います。
でもまずは私たちがもっともっとイエス様の十字架の愛を受け取ること、そしてその十字架の愛で満たされれば満たされるほど、それが泉のように流れ出るんです。 もっともっと深く深くイエス様の愛の中に身を浸したいです♪♪♪ 今日はそんなことを感じました。 ではでは
※いつもありがとうございます。 まぐまぐ! メルマ! めろんぱん カプライト またお友達や教会の方にも紹介してくださるととってもうれしいです。 どうぞよろしくお願いします<(_ _)> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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