カテゴリ:芸能界裏話
プロ歌手希望の人いままで何人かをデビューさせていたけれど
最近はちょっとプロの希望者の動機が変わってきたような気がする。 まず、一番多いのは就職だと思っている。ただ好きだけではプロにはなれない。どんなに上手に歌えても現役のプロを超えるぐらいの歌唱力が必要。そうでなければ現在のプロがいるのでそれ以上でなければ必要でないからだ。すぐにリストラコースへいく。 全国に2000人ぐらいは売れなくてもギャラだけで生きているプロはいる。 この確率は1億人の日本人のうち5万分の1だから5万人の中で1番でなければ売れない歌手にもなれない。もちろん2番ではハナシにならない。 この5万人というのは中小の都市の人口である。そこで1番にならないとならないからプロとしてギャラで食べていけるのはそこらの就職とはえらい違う。 自分が歌を好きなのはわかるけれどプロというのは自己満足でプロになったら大変である。お客がそのプロの人の満足させる犠牲者になってしまうのでギャラはありえない。つまり自己満足ではなく「他己満足」させることができるかでプロとアマチュアの差になるわけだ。ここでは自分を犠牲にして人を満足させると言い換えてもいいだろう。それでやっとギャラの世界に一歩でも入れるわけだ。 ただ、犠牲といっても本来の歌唱力やキャラクターにおいても先ほどの5万人に負けない1番でなければならないわけだ。 お客に満足させるということはお客に対して歌唱力で別世界に入ってもらうこと。ディズニーランドに入ると現実から離れて別世界に入るように歌のステージは現実にありえない夢の世界みたいになればお客はお金を払っても行きたくなるわけだ。このお金を払ってまで行きたくなる夢の世界を作れる能力がタレントにはある。ちなみに「タレント」は直訳すると「才能ある人」。だが、才能は訓練で作れる。だからデビューまで過酷なレッスンを受けて人よりも短時間にその異常な能力をもてるようにしなければならないのである。 ひとことでタレントは「こじき」。厠乞食(かわやこじき)という言葉があるように缶からを前に置いてお客さんに芸を見せてギャラをもらう。これはサギではなく芸が本物であるかはお客が知っている。そしてその缶からにはお金を入れるのである。 いまのタレントはギャラで契約するが本来は芸を終わってからその結果でもらうわけなのはこの「こじき」だから言えるのである。お客は見たりしても期待通りでなければ当然払わない。しかも契約だと期待通りにならないと契約違反になる。この場合はギャラをもらうのではなく反則金をギャラの予定金額の3倍から5倍を払うハメになる。違約金と損害額とお客の入場券の費用を自分がもたなければならない。 だからギャラというのは実は大変な意味を持っている。サラリーマンの時給や月給、年給とはちがうのがこれだ。保障はどこにもない。自分だけが保障なのだ。 約束ができるかどうか ドタキャンというのは自分の都合によってステージなど行かないこと。 お客は期待して待っている。わざわざ手に入らないチケットを買うなど入場料以外にお金をかけている場合もある。それを裏切った行為がドタキャン。 これはステージでなくても関係者との打ち合わせでも言える。とくに打ち合わせなどお客がいない状態だから大丈夫だと思っているいる場合もあるが関係者などはこの打ち合わせに遅刻したり来なかったりした場合はこのタレントを怖くて使えない。だから使うのをキャンセルしたり2度と使わない。1度あることは2度あるというのはよくあることだ。 師弟関係 芸能界は年齢の上下は関係ない。 芸能暦の長さが先輩や後輩を決める。売れていようが売れていなくてもそれは関係ないのが本来の先輩、後輩の関係。 売れなくても先にその世界をやっているのが先輩。 ここで売れていてもそのタレントの責任ではなく事務所の都合だったり本人とは関係ない話なのだ。事務所もスポンサーなどとの関係もあってタレントを選ぶだけで能力を選んではいない。だから芸があっても売れない場合もありうる世界なのだ。実力社会だけどタイミングなど条件に左右されやすいということなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年08月21日 06時33分29秒
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