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テーマ:東京 / 江戸(1213)
カテゴリ:街についてうんちく
渋谷についてはセンター街について書いたことがあり、他の場所も折を見て書こうと思っていた。が、まさか次に円山町を書くことになろうとは・・・・。 円山町といえば、ラブホテル街で、周辺1Km以内には約100軒ものラブホテルがひしめきあっているという。もともとこの街は大正時代から花街として栄え、粋な芸者の街であったのだが、花街産業の衰退とともに、古くからの料亭や芸妓置屋は数を減らし、現在のようなラブホテル街となった。 三善英史の『円山・花町・母の町』、そして花街についての歴史はリンクしてあるサイトを参照いただきたい。 ●関連リンク:渋谷文化 円山町の芸者・喜利家鈴子さんインタビュー ●関連リンク:三善英史と母「円山・花町・母の町」 ●関連リンク:渋谷の考現学 円山町の光と影 佐野眞一のノンフィクション『東電OL殺人事件』によると、円山町が花街から連れ込み旅館街へ変貌する先鞭となったのは、奥飛騨のダム建設により、その補償金を受けて地域を離れてきた人たちだったという。 円山町を取り上げているのは他でもない、その小説にはまってしまったからだ。 1997年3月、円山町にある京王井の頭線・神泉駅前のアパートの一室で、一人の女性が殺された。被害者は30代後半で、東京電力の管理職であり、そしてまたこの円山町で数年間、「立ちんぼ」の売春を続けていた女性でもあった。メディアとプライバシーの問題、そして冤罪事件でも有名な、世に言う「東電OL殺人事件」のことだ。 事件をきっかけに彼女の日常生活が知られるにつれ、彼女が退社後に毎日終電まで活動の場としていたこの円山町は、都市伝説の舞台として、日本、そして世界に報道されることとなった。 一日に四人というノルマを自らに課したかのように、雨の日も風の日も、来る日も来る日も彼女が「立ちんぼ」をして客を探していたという道玄坂地蔵の前がここだ。 彼女は何故そんな生活を何年も続けていたのか・・・その謎は現代日本の病理の象徴として海外のメディアにも報道され、このお地蔵様は事件の象徴として紹介された。 小説を読んでいる間、そして読んだ後も、彼女のことが頭にあり続けた。何を思い、どんな気持ちでこの街を徘徊し続けたのか、それをどう解釈したらよいのか・・・あまりの深さに、人間というもの、そして「心の闇」というべきか、そんなことについてもう一度考え直さずにはいられなかった。 小説を読んでから数回、この道玄坂地蔵前を訪れたのだが、来るたびに熱心にお祈りをする女性と居合わせた。円山町の守り神として地域の人々に親しまれているようであり、そしてお地蔵さまには今でも口紅がしてあった。 夜に来るのは今回はじめてだったが、ラブホテルのネオンが夜の街を鮮やかに装飾し、昼間とはまた違った顔をみせ、お祭りの夜店にでも来ているような気分になった。赤・青・ピンク・・・色取り取りのネオンの通りを歩いていると、なんだかほのぼのした気分になって、彼女が毎晩円山町に来ていた気持ちも少しだけわかったような気がした。 この街は彼女の「孤独」の舞台であり、そしてまた「癒し」の舞台であったのかもしれない。事件のこと、そして彼女の生きた軌跡を知るにつれ、一過性の事件の舞台から、深みある街へとその印象は変わっていった。 道玄坂地蔵を離れ、写真を撮るために路地を歩いていると、40代とおぼしきカップルとすれちがった。どういう関係かは定かではないが、男性も女性も大人で、どのホテルを選ぼうかと相談しながら、うれしそうな表情をしていたのが印象に残った。 カップルとすれ違った直後、誰もいなくなった通りの写真を写し終え、ふと振り返ってみると、そこにはもう二人の姿はなく、誰もいない路地だけが残されていた・・・・。 (この話、つづく) ●関連リンク:花信風No.97 『東電OL』をめぐって ●自ブログリンク:渋谷・センター街 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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