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テーマ:特撮について喋ろう♪(4730)
カテゴリ:サブカルについてうんちく
(前回からのつづき) 前回はデカレンジャーの魅力について書いた。だがN郎♪的にはいまひとつデカレンジャーにのめりこめなかったことも事実だ。その原因を挙げてみよう。 警察組織が舞台であること・・・・現実の警察組織は日本の3大タブーの一つと言われており、権力・特権組織としての不正や不祥事が後を絶たない。怠慢捜査で事件を事故にしてしまったり、他殺を自殺にしてしまったりで、そのような警察組織を美化していることへの抵抗感。もちろん庶民のために正義を貫き立派に働く警察官の方も大勢いると思う。しかし権力を持つ者は、それをチェックする機能が働いていない限り、腐敗していくのが古今東西世の常なのだ。逆に警察組織の不正などを追求するストーリが出てくれば面白かったかもしれないが、デカレンジャーは勧善懲悪のシンプルさを売りモノにしていただけに、その域を求めることは無理であった。 ジャッジメントのデリート許可への抵抗感・・・・いくら極悪犯罪者のアリエナイザーとはいえ、ジャッジメントされているときのうろたえている様子、そしてデリート許可=デカレンジャーによる抹消処分の流れにはちょっと首をひねってしまう。その流れに諸手を挙げて賛成する人がいたとしたら、恐ろしい世の中だと思う。デリート許可の後、アリエナイザーが「これは冤罪だ!」とか、「家族が星で自分の帰りを待っているんです!命だけはどうか助けて下さい!!」とか言ったらどうするんだろう?ジャッジメントの公正さはどの程度なのか?あきらかな重大犯罪者ばかりだったからわかりやすかったけれど、微妙な犯罪者で、それに対してデリート許可が出されたらどうしたんだろう? 全話を観たわけではないし、中にはジャッジメントで「○」となったアリエナイザーもあった。しかしジャッジメントに対して深いところまで描かれていたとは思えない。仮に上に挙げたようなストーリ展開があったとしたら、ジャッジメントから現実の裁判制度や死刑制度に対する問題提起となり、賛成だろうが反対だろうが視聴者の思考回路を活性化させ、デカレンジャーへの評価は一気にアップしたのは間違いない。 2000年のタイムレンジャーでは敵を殺さず圧縮冷凍するという、かなり画期的で進化した解決方法をとっていたスーパー戦隊シリーズであるのだ。シンプルさを売り物にした分、デカレンジャーでは視聴者の思考回路を停止させ、番組のレベルが単なる娯楽作品のレベルにとどまってしまったと言わざるおえない。 ・・・とまぁ、不満がないわけでもないが、子供番組にそこまでのレベルを求めることは筋ちがいなことなのもしれない。でも先に挙げたタイムレンジャーでは、登場人物のセリフの中に圧縮冷凍をする意義が出てきたこともあったのだから、スーパー戦隊シリーズを単なる娯楽作品のレベルにとどめておくのはもったいないことだとも思う。単なる子供番組の枠を超え、可能性を追求してきたのがスーパー戦隊シリーズの歴史ではなかったか。 これらの抵抗感のほかにデカレンジャーにのめりこめなかった理由として、ストーリーが一話完結方式で、全話を観なくてもいいだろう~ということもあった。 しかし、ラスト3話に関してはストーリ展開がかなりおもしろく、のめりこめた。あれだけハラハラドキドキしたストーリを展開できたのだから、一話完結ではなく、ああいった感じのストーリーを他のところにもちりばめていれば・・・そう思う。 ラスト3話では、地球署の、どうにもならないような絶対絶命の危機を乗り越えるため、デカレンジャー6人の一人一人が持ち味を出し、なくてはならない役割を演じてその危機を乗り越えていった。脚本がよく考え抜かれており、さすが戦隊の最終回はちがう!!と唸らされた。 翌年のマジレンジャーでは、デカレンジャーでのラスト3話の盛り上がりを各所にわたってちりばめたようなストーリ展開となっており、マジレンジャーがメチャクチャおもしろかったのはデカレンジャーでの成功経験があってこそだと思った。 (この話つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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