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Copyright© 中山イーフォト (Nakayama e-photo) All Rights Reserved. Since October 17,2005-2023(画質下げ・書込禁止・設定中 無断複写・転載禁止) MS-Pゴチ11P 「夫婦で行く全国写真旅100回 記念展」概要(10) 「写真81-1~95-2 近畿・東海編 146-1~20 記念展来場者の要望に応えたネット化第10回目の写真概要である。写真番号・展示順に従い、日本地図に沿って展開している。沖縄から北海道迄の写真パネル154枚と参考情報、及び第二の人生組の応援歌としての標本パネル展示等である。 今回の写真81-1~95-2は、関西・近畿の写真である。更に、咋秋訪問した九州旅の写真を下段に【九州写真_5】として若干枚加え、「写真旅・参考情報」を更新した。 写真81-1は、「赤福(あかふく)」: 写真81-2は、「御福(おふく)」: 写真82は、「本多忠勝公像」: 写真83は、「徳川家康・しかみ像」: 写真84-1は、「平宗盛の終焉地(しゅうえんち)」: 写真84-2は、「明智光秀の首塚」: 写真85は、「松尾芭蕉の墓」: 写真86は、「浅井家侍女の墓」: 写真87は、「玄宮園と国宝彦根城」: 写真88は、「長浜城」: 写真89は、「浜松城」: 写真90は、「露天風呂・黒根岩温泉」: 写真91-1は、「久能山東照宮1」: 写真91-2は、「久能山東照宮2」: 写真92-1は、「直虎の位牌」: 写真92-2は、「直虎の墓石」: 写真93は、「井伊家の菩提寺・清涼寺(せいりょうじ)」: 写真94は、「さった峠」: 写真95-1は、「森の石松」: 写真95-2は、「清水次郎長像」: 【直近の九州・写真_5】 昨秋、約一ヶ月半に及ぶ沖縄&九州写真旅を敢行した。以下は、鹿児島から福岡迄に出会った写真旅寸景である。 G1)「多賀神社(たがじんじゃ)拝殿」: 福岡県直方市・サイト管理者の故郷で、黒田家直方藩の鎮守・多賀神社である。背後に大きく広がる公園を含め、幼い頃は広い境内で自由に遊んだり、孟宗竹(もうそうだけ)の切り株で足を怪我したりした。 G2)「有井浮風(ありいふふう)・諸九(しょきゅう)の句碑」: 同境内には芭蕉十哲の一人、志太野坡(しだやば)の薫陶を受けた有井浮風と、その妻の諸九の句碑が建立されていた。浮風は直方出身の俳人で、妻の諸九も同業ながら、奥の細道を追体験したアウトドア派?の女流俳人。浮風の死後、尼となり同市の山部町で没した“ラブロマンス”俳人と言えよう。碑には次の句が刻まれていた。 つれもあり いまはの空に ほととぎす(ふふう) 行く春や 海を見ている 鴉(からす)の子(しょきゅう) G3)「福智山と直方市役所」: 福岡県直方市・写真中央奥が標高900メータの福智山。右の大型ビルが直方市役所で、昔はどっしりとした公会堂が隣接していたが無くなった。直方市は筑豊盆地で、夏は蒸し暑く、冬は雪が降り積もり雪合戦ができた。 G4) 「須賀神社(すがじんじゃ)」: 同市内にある神社だが、昔は木造だった。小学生迄、神社近くに住み、境内で“鬼ごっこ”をして社殿床下に隠れたものの、知らずして“乞食(こじき)の病死体”横に隠れてしまった強烈な想い出の神社である。昭和20年代はそうした事案が多かった。 G5) 「御由緒(ごゆいしょ)」: 同神社の由緒で、昭和47年に災厄(さいやく)に遭うとある。恐らく火災に遭遇しコンクリ製神社にしたようだ。 G6)「貝島会社と堀三太郎の寄付」: 同境内には、神社の初期の寄付と思われる炭鉱王の貝島、堀の両家から莫大な寄付がなされた記念碑が立つ。昭和20年代の娯楽と言えば、ラジオ、電気屋でモノクロテレビの有料視聴や、神社の祭事が中心だった。時代は“流れ”、昔のような賑わいは無くなった。 G7)「岩見重太郎の狒狒(ひひ)退治・大祖神社拝殿(たいそじんじゃ)」: 福岡県小竹町・直方市の隣町の「太祖神社拝殿」である。毎年、狒狒の人身御供(ひとみごくう・いけにえ)として若い娘を差し出した神社だが、武者修行の途中参詣した武芸者の重太郎に村民が助けを求めた。彼はその身代わりとなり見事に“狒狒退治”をした伝説のある神社で、その雰囲気を狙った写真である。 G8)「地蔵堂」: 同町・この地蔵堂は、大祖神社近くにあり、悪友達と堂内で過ごした。当時も堂内は様々な“物”で飾られていたが、その様は今でも同じであった。村民の信仰心の継承性に驚かされると共に、遊ばせてもらった感謝の気持ちから、深く頭(こうべ)を垂れた。 G9)「平成筑豊鉄道・赤地駅付近」: 同町・写真右手に大祖神社や、地蔵堂があり、周りは畑や溜め池等に囲まれた静かな環境の中で育った。そこを一台の車輌がゆるりと走り去って行く。撮り鉄写真家ではないので、車輌の型式等は不明だが、のどかな故郷である。 直方出身の元大関の魁皇が引退し、己を育ててくれた故郷は激変し、よわいを重ねる身としては、故郷は遠くなりにけりである。 【写真旅・参考情報_9】 写真旅の難問の一つが“レンズの選択”である。撮影には、天体、空中、陸上、海上、水中等が考えられるが、便宜上水中を除く、単焦点レンズ、ズームレンズ、接写レンズ等の自分の使用例である。 1、単焦点レンズは、芸術系撮影用と理解し、対象から外した。 2、広角ズームレンズは、FX系:16~35ミリ、18~35ミリの2本と、DX系:10~24ミリ、16~85ミリの計4本を多用している。 3、標準ズームレンズは、FX系:28~200ミリ、28~300ミリの2本と、DX系:18~200ミリ、18~300ミリの計4本である。 4、望遠ズームレンズは、FX系:70~300ミリ、80~200ミリ、200~500ミリの3本で、DX系は所有していない。但し、FX系望遠ズームレンズを、DX系ボディーに装着すれば理論的には倍率が1.5倍となり、105~750ミリ迄の撮影が可能で、大凡の被写体が撮影できる。 5、その他、接写レンズ、テレコンバーター、野鳥用「フィールドスコープ」も使っている。フィールドスコープは、アタッチメントの併用で、2000ミリ超望遠になるが、ハスキーや、ジッツオの様な大型の三脚が必要となる。なお、暫くの間、当サイトは、変則的な掲載となる。
0146 全国写真旅・入門 (総集編50) ● このサイトは、次の構成に沿って展開している。(140回目以降) 140:全国写真旅・入門の実際(総集編44)・・・・・・20221127 141:全国写真旅・入門の実際(総集編45)・・・・・・20221219 142:全国写真旅・入門の実際(総集編46)・・・・・・20230130 143:全国写真旅・入門の実際(総集編47)・・・・・・20230227 144:全国写真旅・入門の実際(総集編48)・・・・・・20230320 145:全国写真旅・入門の実際(総集編49)・・・・・・20230428 146:全国写真旅・入門の実際(総集編50)・・・・・・20230529 147:全国写真旅・入門の実際(総集編51)・・・・・・(予定) ――――――――――――― ・ ・ ・ ――――――――――――― 姿が見えない敵、新型コロナウイルス(COVIED-19) 【39】 終了 前々から指摘してきた2類から5類への法改正が5月8日に施行された。それでも過去を引きずった行動が散見されている。“注意深い生活態度”と言えなくもないが、諸外国と比較した場合、“ひ弱な民族”のように見える。 その他、5月15日、「NHKニュースウオッチ9」で、恣意的に“ワクチン接種死”を“コロナ感染症死”として報道し、その後、放送総局長と会長が謝罪した。また、コロナ関連予算の過大請求をした大手旅行業者等、社会の闇が続出している。これらは、いつものごとく総括されないまま葬られそうであるが、法改正が行われた故「姿が見えない敵、新型コロナウイルス(COVIED-19)」は、一応今号で終了する。 不透明な“ウクライナ”戦争情勢 日本も危うい!(情報戦5)【16】 “殺戮(さつりく)”が続く戦争の最中、当事国で賄賂事件や、内紛もどきが続出している。その他、仕事柄、歴史的戦争写真等を数多く見てきたが、両側の代表達の形相の凄まじさは、過去のそれらと同等か、それ以上の印象である。驚くべきは、G7サミット参加のため、ジェレンスキー大統領が“仏機”で来日した。そして、全首脳は原爆資料館を見学したが、停戦への熱意とは真逆の戦闘支援を高かめて終了したことである。 本来ならば、全首脳が一丸となってロシアに乗り込み、停戦を求めるぐらいの言動等があって然るべきであった。人間ほど愚かで、小賢(こざか)しくて、残忍な動物はいないとしみじみと思わされた。 この戦争から真剣に学ばなければならないことは、戦争をしたくなくても “戦争を仕掛けられる”現実があることである。そして、戦後70年余もの間、学習を厳しく真剣に行わずに過ごしてきた日本は、様々な事実を正しく知らなければ、深い国防議論は始まらない。直近の台湾、尖閣、自己防衛力、情報戦の問題は、明日からの議論では遅いのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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May 29, 2023 04:26:48 PM
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