第二十九回「私、社会復帰できますか?」
第二十九回「私、社会復帰できますか?」「すべてに意味がある」じゃあ、私が去年の6月から始まり今も続いている左側の片側(へんそく)顔面痙攣になった意味は何だったのか ー 。ずっと、まったく意味が見出せなかったが、この10ヶ月ほど痙攣し続ける自分をじっと見つめ続けた結果、やっと自分なりの答えが見つかった。それは、「我が道を貫け」という意味だったのだと思う。私は好き嫌いがはっきりしているから、やりなさいと言われても嫌なものは嫌。無理になんてできない。いえ、それは、もう拒絶反応が人の何倍も激しく、本当に「することができない」のだ。不登校がまさにそうだった。身体が大きな岩になって動かない。ピアノを弾くようになったのも、ピアノへの愛がとめどなく溢れ出て止まらまくなったから。そうして、我が人生におけるピアノの一時代を築いたと自負している。現在MSがかなり良くなり、おそらく今の私は次のステージへ移行しつつある時だと思う。この先どんな仕事をしようかと悩み始めたのも、きっとその次のステージへ進むためのステップ。と、またここで私の激しい好き嫌いがむくむくと顔を出してきた。仕事はしたいと思うが、ただお給料をいただくためだけの仕事では、何かが違う。そこへどうしても「夢」という言葉が大きくのさばってきてしまい、どんどん膨れるばかり。これまでのピアノに取って代わる夢ができてしまったことが、ある意味災難で、私自身を揺さぶり続けている。夢を実現させたい。それがほんの僅かだとしても仕事になったとしたら!私にとって、そんな幸せなことはないと思う。そのくせ、私は弱い。そこまでの想いがあるのならもっと意思強く行動すればいいのに、自分にまったく自信が持てなく勇気もない。他人と比べられるものではないところで比べてしまい、卑下してしまう。そこの葛藤がまた自分をより悩ませる強固な鬼門になっていて、呆然とその前に佇んでいるのが現状だ。その一方で、この葛藤こそが私そのものなんだとも思う。私からそこの部分を切除してしまうと、私の良き個性がなくなってしまう。だからこそピアノが弾けたのだと思うし、ピアノに取って代わるこの夢を抱くようになったのも必然的だった、とそう解釈している。夢を叶えるだけでなく、さらにそれを仕事にしたいと一回り大きくなってしまった私の夢。貫こう。もう貫くしかなさそうだ。それはとてもとても苦しい。だけど、痙攣が「そっちじゃないよ、こっちだよ」とそう教えてくれているのだから。きっと夢を叶えて「夢=仕事」になる日が来ることを信じよう。(2015.4.4. 12:00)