今日は午後3限に教授学という授業がありました。理論を道具に見立てて説明や記述を超えて納得する、させる手段として用いるものですが、時として押し切りのように思えることもあり、あればいいけどないならないで逆にいい、という場合もあるような気がします。道具主義という理論があるそうですが、人間も時として道具になりうることがあるので、人間同士対等でお互いの存在を認めるための手段として道具を使うなら理解できます。難しいことですが、方法としては言葉も道具の一つ、記述と説明だけでは納得できない場面を超えるために使うならいいと思います。授業を受けている学生さんたちは数人は教師になるかもしれない人たち、生徒に理解させるために道具を使うなら、疑問を解決するための一手になるかもしれません。終わってヘロヘロになりながら、円山にある日本茶カフェに英語の先生たちと初めて行きました。かねてからお店の前は通っていたのですが、なかなか入る機会がなく、今日やっと行けました。好みのお茶と和菓子を選び、お茶は熱い、冷たい、熱いの3回楽しみます。和菓子は長野から直送、お茶は鹿児島のお茶を選びました。英語のレッスンは今年でもう13年続いています。一緒にレッスンを受けている人は私より先輩で海外に専門分野を活かして仕事を依頼されるマルチな存在。来年以降の計画もとても魅力的です。これからもいい刺激が得られますますように。
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Last updated
2024年11月11日 22時38分39秒
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