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「ニート」について書くということはとても難しい。
だいたい、ほんの最近になって出てきた言葉だし、その意味の把握も十分ではない。 [Not in Education Employment or Toraning]の頭文字をとったのが、NEET=ニートだそうだ。直訳すれば「教育・雇用・訓練中でない人」という意味。 要するに何かに属する人たちを除いていくと、何やらよくワカラナイ人たちがいるぞ。 どうやらそれは、若い10代後半から30代くらいまでの人達らしい。 しかもこのニートさんたちは、少子化にも関わらずかなりの勢いで増えているらしい。 このままいくと、職業能力も育たず、産業競争力や社会保障や治安にも悪い影響がありそうだぞ。というのが、大方の考え方みたいだ。 どちらかというと、このままだと社会の厄介者が増えるぞという感覚で大方のメディアは「ニート」のことを報道しているように思える。 僕は、どちらかというと「ニート」と呼ばれる人達にある種の親近感を憶えるところがある。なぜだろう?大きなお世話かも知れないけれど、ESパートナーの活動についてもニートや引きこもりと呼ばれる人達に関わっていきたいという思いが最初から強かった。 なぜだろう?多分、自分の中に彼ら彼女らに近いような感覚があるからではないかと思う。そして、「ニート」や「ヒッキー」であることのある種のしんどさや、漠然とした不安感や、無気力さのようなものをやはり自分も持っているのだろう。 「景気がよくなる」のはすごくいいことだと思うだろうか? バブル時代を通り過ぎてきた僕は、あまりいいこととは思わない。 きっと、背が高くて・収入が多くて・学歴が高いのが一番だみたいなバブル期の感覚みたいなものが復活してくるのもイヤだし。 株価が高騰して、バブルになって、またどこかにしわ寄せが行ったり。新しい市場や資源を求めてよその国に出ていこうとしたり。大量消費でモノのありがたみがなくなって地球環境が更に悪化したりとか・・・・・ 今、景気がどんどんよくなるなどと聞いたら、何だか恐ろしいことが起こるような気分になる。いったい何を元にして、どうやって景気がよくなるのか?わからない。 景気がよくなって、雇用が増えれば、ニートはいなくなるだろうかと考えればそれはないように思う。 多分僕と同じなら、今の世の中では、何となくやる気にならないだけなのだ。 だからまあ、景気がよかろうが悪かろうが、背が低かろうが稼ぎが悪かろうが、じっと耐えているのか、わりと気楽に楽しんでいるのか、深刻に考えたりしているのか知らないけれど。ニートと勝手に名付けられている人々を応援したいというか一緒に気持ちを分かち合いたいような想いがあるのだ。 「マイノリティーは創造する」という。 ニートは、「かなりの規模にのぼる、少数派」と言われているようだ。 この、「マイノリティーは創造する」という言葉を何となく信じている。 現在に十分に適応した多数派よりも、かなりの規模にのぼる少数派の方が、将来的に何か重要な創造的な仕事をするような気がするのだ。 ダーウィンの適者生存の原則というものがあるが、現在の環境に十分に適応した者は、次の環境変化においてはもっとも不適応な存在となる。これは現実だ。 僕は、ニートという存在に、次なる環境変化に適応するための、痛みや苦しみや不適応を感じてしまう。 だから今は社会的に不適応でも、次なる創造のためにじっと耐えているのではないか? さて、この感覚はどれくらい妥当なのか?知りたいのだ。 妻に、「ニート関係の仕事をするかも。」と話したら、「あなたが、ニートみたいなもんじゃない。」と言われてしまった。 世界中のニートの皆さん、こうなったら、何か創造してやろうじゃありませんか! ESP 事務局 masa お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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