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どうも弱っているときに出て来がちな問いの一つに、「何のために生きているのだろう?」という問いがある。
大体において、昔からそうであったように思われる。「うーん、よわったなあ。ああ、まったくもう。何のために生きているのだろう?」というのが、青少年だった頃の自分のパターンだったように思う。 今は考えないか?いや、考えてしまうときがある。なにやら、課題の大きさや、きちんと問題を捉えることが出来ないときには、何となく、そんな風にして人生とか生命の意味を知りたいなどと思ってしまう。 「何のために生きているのだろう?」どなたか答えられる方? 「家族のため、自分のため、答えは風の中♪」坂本九の歌、ですよね。 「<単なる生>の哲学 生の思想のゆくえ」宇野邦一著 平凡社刊と言う本を読んでみた。この本に出てくる生の思想を、「不機嫌なジーン」のおまけ風に並べると。 ・ニーチェ・フーコー・バタイユ・ベルグソン・ドウルーズ・レヴィナス・ベンヤミン・グールド・スピノザ(哲学者・思想家)・ヒットラー(政治家)・ダーウイン(科学者)・土方巽(ダンサー)・アルトー(戯曲家)・ベケット(詩人) 等々ということになる。 はあー、疲れました。 面白い本ですが結構大変です。ちょっとは読む人のレベルも考慮して欲しい・・・ で、結論は何なの?ということですが、さっと書いてしまうのはイヤだな。結構苦労して読んだからな。なになに、教えてほしい?「人間が何のために生きているのか?」 いやいやこれはそう簡単に教えられませんな。 え、どうしても教えてほしい・・・・・じゃちょっとだけ。 答えは、「未だにわかっていません。」 はは、ガッカリしましたか? 上記のような、人類史上最強ドリームチームで考えても、「何のために生きているのか?」という問いかけには、答えが出ないのです。 多分、ホリエモンに聞いても、小泉総理に聞いても、イチローに聞いても、天皇陛下に聞いても、最終的な答えは出てこないようなのです。 例えば、ホリエモンの答え「お金のため」。何でお金のために生きるの?「快楽のため」。何で快楽のために生きるの?「・・・・・・」 はあ~、よかったですね。答えを知っている人がいなくて。すごく立派なえらい人でお金持ちで格好良くてモテモテでノーベル賞を取ってオリンピックの金メダリストでも、本当に、何のために生きているかを知っている人はいないのですよ! ほらほら、何か元気が出てきませんか? 「何のために生きているのか?」という問いには、間違いが含まれているのかも知れない?生命というものは、無垢なものだとニーチェは言っている。問いかけるなんて野暮だぜ!自分自身が生命だもの。 まったく、自己実現などという言葉は恐ろしいものですね! どうやら、生命というものは「還元不可能」なものであるらしい。 還元不可能と言うことは、言語で規定したり、DNAのような科学や生物学で説明したり、神様を持ち出したり、数式で表したり、分割したり、医学上定義したり、法律上定義したり、行動科学で表したり、精神分析してみたり・・・ そういう風に、何かに還元することが出来ないものなのだ。 これらはいくら偉そうにしてみても、単に切り口に過ぎない。(きりー。ざんねーん!) いや、今やいろんな角度から切り刻まれて、生きることは「ずたずた」なのかも知れない。どうもそんな気がする。どうやら、知らぬ間に斬られまくっているに違いない。 ところで、生命はとうといか?さあ、ワカラナイ。還元不可能だから。 では、どうやって生きていこう。 「深く考えずに、何か、自分なりの意味を見つけてみる。」普通はこれでいいかも知れない。 あるいは、「自分なりに問いを立ててみる。」解いたり問うたりで生きていけそうだ。 「自分の生命をそっと聴いてみる。」可能性はありそうですね・・・「風の歌を聴け」ってね。 「単なる生を生きる。」平凡に生きるのは難しそうだけれど、これもいいよね。 明石さんまの名言、「生きてるだけで、まるもうけ。」この言葉を鍛え上げることは結構難しい。多分、かなりの回数の反復が必要なのである。 ESP 事務局 masau お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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