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2009.03.28
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生きていることが 不思議。

いつ 息が止まってもおかしくない。

     18母.jpg
       私の書いた 「墨絵」 より

 

そう言われていた母が、3月25日(午前4時10分) この世を去った。


享年85歳。


肺の機能が壊れていたため、
自力で ガス交換が出来ず苦しんでいた。

酸素をどんどん入れたとしても、
二酸化炭素がうまく排出できないので
調整が難しい状態だった。

 

    

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    14父.jpg
       私の書いた 「墨絵」 より

 

毎朝 父にお線香とお水をあげる時に

「これ以上 お母さんが苦しむのであれば、もう迎えに来てあげて」

そう話しかけていた。


父が亡くなってから 5ヶ月。

母の抱えていた寂しさと 持病(呼吸)の苦しさが
精神的にも肉体的にも (母を) どんどん衰弱させた。 

あんなに 仲良かった2人だから、
離れていることが とても不自然に見えてならなかった。


母が亡くなった時、

「これでもう苦しまずにすむね。 またお父さんと一緒に居れるね。」

家族の誰もが 言葉にした。

 

実は、ずっと担当医から
治るわけでもない、後はどんどん苦しんでいくだけの母に
「安楽死」的な 選択肢も提案されていた。

それを選べば、母はス~ッと 苦しまずに眠ったまま逝ける。

私たち きょうだい4人は、誰もが選択すら出来なかった。

母にとって どの形がいちばん良いのか?


悩んだ。 悩みに悩んだ。


そんな矢先・・・
母は 奇跡的にも 自力で 苦しむことなく逝けた。


私たち残された者に
「ありがとう。 もう十分よ。」 と言ってくれているかのような
微笑んだ母の死に顔を見て、驚くほどきれいな死に顔を見て、

「お母さん、ほんまに きれいやで。」

父の死に顔もきれいだったので、
母が 「私もこんな風にきれいな顔して死ねるんかな」 と心配していた。

だから、嬉しかった。
頬と唇に やさしい色の紅が 白いきれいな肌に映えて・・・

しばらく 母の死に顔に うっとりと見とれていたくらい。



父の時と同じように、
お通夜には 悲しみの雨が。
告別式には 旅立ちにふさわしい快晴だった。

が、納骨の時に 晴れながら雨がぱらぱらと一瞬だけ降った。

「お母さんの お嫁入りやな」

お墓では、父の骨が 母の骨を待っていた。

真っ白な布の袋に 壷から入れ替えられて
(ここの霊園は 土に還りやすいよう、あえて布袋に入れるようです)
母の骨入り袋は 父の骨入り袋に寄り添うように置かれた。

母が、もう一度 父の元へお嫁にいった瞬間だった。


 

  img55602597.jpg

父と母はいつも一緒!

これが いちばん自然な形なのだと 納得した。


「私は あんなにお父さんに愛されて ほんまに幸せな女やった」

これが私の 最後に聞いた母の言葉。



お墓の下に納まっている父の骨入り袋も まったくきれいなままで、
なかなか割れなかった真っ白で丈夫な骨が うっすらと布に映っていた。

父と違って カスカスだった母の骨は、
「いつか来る私の骨姿」 を想像させた。

今から間に合うだろうか・・・ 骨太改革。

毎日カルシウムを意識していた母の食事を考えると、
食事だけでは 骨は育たない事 がうかがえる。

やはり 運動も必要!



また父と同様、自宅にて十数名の近親者のみで 密葬を行った。

父と同じくらいの期間(約1ヶ月半) 入院していた母も
「家に帰りたい」 とよく言っていた。

その家からどうしても送り出してあげたくて。
(会館では味気ない、寒々しい、堅苦しい)

みんなでワイワイと一晩中
母を囲んで 両親の思い出話大会。

面白い両親だったので、思い出は笑い話ばかり。

きっと母も一緒に笑い出すのではないか。。。
いや、あれはおそらく 一緒に笑ってたな。

棺には、たくさんの物を入れた。
胸には ひ孫(5歳 男の子)が書いた病院に貼っていた似顔絵。
その他いろいろ。

大好きだった和菓子、洋菓子、おかき、せんべい、コーヒー豆・・・
どんだけ入れるねん! というぐらいの食べ物も入れた。

新たな旅立ち(お嫁入り)には 準備万端だったと思う。



今だから話せるのは、
入院中まだ食欲があって元気だった頃・・・

母はカニが大好きで、食べたがっていた。
カニ缶を持っていこうと思ったが、
近所の魚屋さんに新鮮なズワイガニが丸ごと茹でて売っているのを見つけ、
おじさんに事情を説明したら 手作り三杯酢を付けてくれた。

そのままカニを1杯 母の病院へ持って行き、
看護師さんに見つからないように 
こっそりと身をほぐし、病院食に足した。

足3本だけだったけど、食べてくれた。 
サプライズに驚きながらも
本当に嬉しそうだった、大喜びだった。

自分が無謀な事をしているとわかっていたけれど、
あの無邪気に喜んだ母の顔は 一生忘れない。 

 

この5ヶ月の間に両親をいっぺんに亡くして
もう会えないのかと思うと本当に寂しい。

しかし、母は 父の大きな愛の元で居るのがいちばん。

残された私たち家族は、どこか清清しい気持ちもある。


どこへ行くにも手をしっかりと繋いでいた2人。
またしっかりとお互いの手を取り合いながら 
私たち残された家族のことを語り合っているだろう。

 

「死ぬ」 ということの意味。

親のありがたさ。

両親を亡くした人の気持ちがわかる人間に成長。


これらを両親が身をもって 学ばせてくれた。 




私は、両親からもらった命を大切に生きていきたい。

お父さん、お母さん ありがとう。

これからが 本当の恩返し。

 

                 
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最終更新日  2009.03.28 22:31:22
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