自己責任
人のせいにするなと言う。相手のことが原因でわたしに起こることも全て自己責任だという。お前の自己責任だと怒鳴られる。私の身体に何かしら暴力をする。
バカだから、なんでも信じて無理なこと苦しいこともなんでも、夫にこうやれと言われればYESと言ってきた。断ることは恐ろしかった。苦しい辛いことをさせられ辛いというと、最初に良いと言ったんだから自己責任だと言い返される。そしてうまくいってもわたしには報酬は何一つない、嬉しくなるだろう、助けになるだろうと思って頑張っても何もない。家事も全部やって当たり前。生活費は、わたしが二人分出していた期間も多くあった。
例えば、何も買うこともできない。機嫌が良いとして年に一度でも相手に買ってもらうと後でそれは必ず破壊鼓動につながってしまったのであきらめた。恐ろしい形相で、おい、あれ、何処やったー!!!!と叫びながら探して切り裂くのです。部屋の中がぐちゃぐちゃになる。物が散乱し、壊れた。
相手の役に立ったという満足感だけだ。俺の役にたっただろうと。向こうの意向のレベルまで達して無いと、永遠に感じられる長い時間を大きな音をたてて怒鳴り続け暴れ、床を引き摺り回されたり人格を否定することを言う。頭の整理ができないまままた、次、頑張って無理をしてしまう、がんばる。
頑張るためモチベーションは、夫の希望のラインに達してなかったら失敗したら酷い目にあうというマイナスのものも含まれる。エネルギーが枯渇していく。頭脳の面でももう働かない頭で無理なラインが引かれる。
弱い気持ちになってしまったら、それを先回りして余計に苦しくなることを言う。
頭がいいから先回りして心をざくざくに傷つけることを言う。
ごめんねとか俺のせいもあるかもとか優しい言葉とか気休めはない。
苦しい方向に言葉や暴力で突き落とされる。自己責任と言われる。辛い苦しいと思ってその苦しさがなくなることはなく10年以上経ても厚く積もっただけだった。暴力の場面の繰り返しの蓄積の混乱した記憶。
足で、私の背中や足を蹴って人からわからないところにアザを作られる。
信じられないような厳しい言葉を常に言う。
違和感があるのはいつも当事者意識はないこと。混乱に混乱が上塗りされていつもひとりで孤独だった。
知り合いがいなく、知らない土地にきて、孤独、寂しいと思わないで済むよう努力をした。
いろいろなことや苦しみや私のことは自分には関係なく、あの人の問題は、小さなことでも重大なことで二人のことで、自分のことのように背負わせる。でも、その流れに逆らわず、そうしてないと余計私は苦しむことになる。
知らないうちにいつもあの人の問題やあの人の成果、希望する結果を、自分ことのように勘違いする。
自分の責務に感じて自分の責任としてしまって苦しかった。
家庭内での暴力の連鎖とかそういうものを読んだり聞いたりして自分で決めてた。普通の状態でなくなってコントロールできなくなっている様子を見てはその中でできないと。同時にずっと希望を持っていた。
状況は、密室でどんどん悪くなり、外の知ってる人がいるときのふるまいと、そうでないときの二つの顔の差が開いていく。裏の顔が独裁者のように支配的になっていった。
支配する側とされる側の共依存の状態。
私が不用意な発言をしたとして、そばに知り合いの人がいなくなるとものすごい顔で睨みつけ、歯を食いしばってすごいことを言っていた。しかし、人が来ると何もなかったようにわたしは振舞わなければいけない。
二月に突然、何もない理由で爆発し、大声で色々言いつずけ、そして出ていけと何度も叫び、何回も叩かれ殴られた。冷蔵庫のところで私の顔をおさえつけて、おまえは、やられたいんだろう、やられたいから逃げないんだ!!!!!!
なんでここにお前いるの!?いつでてくの?もーさ、別れたいんだけど..なんでうちには子供がいないの?とかいろいろ。
頭突きをする。
ずっと絶叫していた。叫んでいた。そうしますと返事した。
いつ、でていくんだ!
3月にすると言ってそうした。
それが決定打ではなくなんどもなんどもあったことだったけど限界というよりそれを超えて麻痺していた。
疲れた。心の闇深すぎるのに、ばかみたいに、いつか嵐がやむ。普通の家の中や子供を私は夢みていた。そしてある日、相手が突然普通の人になるようなそういう夢をわたしはみていた。
そこを、えぐってつくようなことをそのとき言った。
これこれしないなら今すぐでていけ、別れたいと頻繁に言うようになったのは、それは私が心の病気になった時から言い始めるようになった。
たくさんの恐ろしいことをされ、具合がその度に悪くなり、体が動かなくなりわたしは使い物にならなくなり、逃げずらい状態になってから。
わたしがメンタルと体調が元気な時は、真逆だった。
弱いものには徹底的に強くなる人。
放った言葉、言われた言葉が生きてしまう。
家庭内での暴力の連鎖というのは言われている。幼少時に、人格形成される段階で守られている居場所として機能するはずの家庭の中での暴力的なことを、そういうのを見ることは虐待となるらしい。安心できる場所である場所がそうではなくなる家庭機能不全。
エディに対しても、かばってあの人に吠えると追いかけてどなって蹴り上げて、その時目が血走っていた。震えてエディは漏らしていた。そんなことをするけど世話もぜんぜんしないのだけどあの人はとてもエディが好きだった。好きなだけどときどきそうなる。
治った、治すと言うけどもダメだったけど、うん、なおったらいいなとほんとに思ってた。
いくらある?お前の親はいくら出せる?と聞いて、二人の家なんだよ?と。全てのわたしの貯金を出させてマンションを買ったあとに、経済状態が悪くなり、怒涛のように過ぎた、30代後。リミッターがふり切れやすくなり家の中がぐちゃぐちゃになった。カッとなってバシッと手が出るといくとかそういうのではない、振り切れたままの状態でひつこくとにかく何もかもを抑え込もうとその時間が続いていく。
引きずられて床に体を叩きつけられる。服がさける、暴れる。私の大事なものは目の前で、凄い勢いで探して壊す。
友人との思い出がある大事なものを出してきて破壊する。お金は財布をひっくり返してわたしのアルバイト代も取り上げる。クレジットカードは使わせないと全部折る。携帯電話は折る。泣くと悲劇のヒロインと言う。泣いてしまったら携帯レンズを向けて動画を笑いながら撮ろうとする。動画をとりながら、ニヤニヤ笑っている。「お前が醜いからだ、おかしいから撮る」という。追い込まれて頭が混乱して泣く、、と、動画を撮る??そんなおかしなことをする人とは誰も思わないようなひどいことばかりだった。
どんな傷つくことでもして、その時を絶対的に勝って、収めようとする。「俺を怒らせることをした」「俺を怒らせるな」と言う。俺を怒らせるなといっても、外のストレスがわたしに全て向く時もおおくあり、何が導火線がも最後頃は分からなくなっていた。
そして、生きる価値がないのにお前みたいなものがなんで生きてるの?ぐらいのことは言われていた。
サンドバッグのような対象になっていました。
精神が弱ってきたら、余計に強くなり支配的になってたまに気が狂ったような虐待になった。誰も見ていない密室の中で暴力の陰湿さも悪化していった。そして別の日には優しくなる。混乱して病んだ。ココロが壊れた。しんどかった。たまたまの大学病院で病気を見つけてもらった、わたしは混乱でもう自分がわからなかった。
病院の先生には理由や原因を絶対に言わず病院に通った。離れるという覚悟がわたしにないうちは情があったうちはよく知らない人に、二人のことを話すのは嫌だった。治療した。そしてそこの病院にはもう通えなくなると思い先生にご挨拶をして紹介状を書いてもらった。治療の最後に先生にあなたは強い人ですよ、と言われて涙がだらだらと出た。あのひとは私が病気になったら「もともと弱かったんだろ」という言葉を言った、弱い人間だからそうなると私に言ったのだ。それ旦那さんが言うことばなの?と混乱した頭で遠くで思った。そう思い込ませてあの人は自分が助かろうとしていた、罪悪感から。あの人はしぶんが、罪悪感を持たずに済むために、やってきたことは一ミリも振り返らず、「弱い人間だから私が病気になったんだ」とはっきりといった。虐待の最中は本当にわたしに死ねばいいと本気で思っていたと思う。またはここまでパートナーを追い詰めたらほぼ、そうなる可能性があるだろう。
自分のあふれる負の感情や欲望のままに突き進む。
常に自分の救済や、自分が楽をするために私に乗っかって世間体を作る。
お正月一月四日に二発、ほおを打たれた。立ったまま、たたいた後にテニスすぶりの後のように、手がなっていてはあはあ、といきをしていた。ほっぺが真っ赤に耳が痛く、晴れ、鼻にヒリヒリずーんと痛みがきて鼻血がつーーーーーとでました。
わたしはそのまま逃げて、その日はビジネスホテルに泊まった。だけどまた戻ってしまった。
耳で聞いた、生きる価値も、命も否定されたひどい言葉。蘇ろうものなら全力で否定しても、消えなくて消えないけど記憶をはやく遠くにやってしまいたい。人生が悔しくて悔しくて。
ひどい人です。仕事が軌道に乗ったら、新しい若い愛人を読んでさらに追い詰めて、戻れないように居られないようにされました。
資格を取るために、生活がむちゃくちゃでも無職になった人に、試験中あれだけ親身に寄り添い、生きるエネルギー切れの中で無理をしつつ続けたし、周りに愚痴も言わなかったし生活の超苦しさも誰かに相談することもできませんでした。
#細谷宏 #中小企業診断士