歪めて
2006年頃会社に居た時の毎月の社内報全部と入社年度ごとの全員の顔写真と配属がのったアルバムを兼ねた会社の冊子を元夫に勝手に捨てられた。私はダイジにしていた。楽しかった青春。気がついたらもう無かった。捨てたと言う。捨てられたくない。捨てる場面さえ見ていない。「捨てた。もういらないだろ?」知らない間に私の大事なものを捨てた。同期も全部写っている後輩も全部写っている毎年のアルバム。毎月のいろいろな情報が載っている社内報の冊子。ワタシの大切なものを勝手に捨てたの!?と怒るところだけど怒る感情をむけたら元夫は倍の恐怖で仕返してくるそれはさらに悲しみや恐怖を生み出して苦しむから怒れない。こらえる。つらい。大事なものをどんどん奪った。大事な思い出や、ものを剥ぎ取っては捨てた。ワタシに制裁しようとするときにワタシが一番困るものや悲しむものを探して、そうするようになっていた。怒りながら家の中を探し始めたら背中が寒くなった。怒りに肩を震わせてはあはあ言いながら探して見つけたらバキバキに壊す場面を何度も見た。このブログにも載っているが、布を使ってミシンで作ったもの。ピンクの洋服とバックのセットも癇癪のようになり恫喝されながら見せつけるようにして手で切り裂かれた。その度にわたしは精神をすり減らして気力をはぎとられていった。勤めていたT社が好きだった。履歴書に書くソレは希望だった。ソレをなかったことにしようとしていた。同じグループのIKEさんがシリコンバレーに研修に行ったのでワタシも行きたい!と思っていた。それをGMさんにも話していた。だから会社の英語のクラスをうけていた。元夫からは僕と結婚したら僕の会社から外国に行くとしたら俺だ。少し滞在ができるいけるかもとだまされた。両親にも結婚の話をするときに名古屋?大丈夫?と言うので短期海外暮らしがあるかもとそれだけ期待されていると。あいつから聞いたままを、両親に言った。それはうそだった。断腸の思いで大好きな東京を離れたのにそんな現実は実際無かった。その後、何かもの食べることが苦しくなり寝ることができなくなった。何もできないどころか床をはいまわってしかうごかれなくなった。心臓がドキドキし身体がしびれて息がうまくできなくなった。体重が40キロを切って発作がずっとおこった。歩けない。床をはってトイレに行く。体が苦しい。病院で「あなたは重いうつ病にかかっている治療をしなければいけない。家族は呼べますか?」と言われて大声でウツデナハイ!!と叫んで泣き薬を飲まされて人体実験にされると本気で思って怖い!!!と号泣したりした。その思考。正常でクリアなジャッジは自分で不可能となっている異常になっていた。大学病院の先生が1週間に身内がしばらくつきそうようにといわれたのに元夫は最初の1回適当な感じできただけ。付き添いで来るはずがない。あるくことというより椅子に座っている姿勢も取れないので横になって点滴を打った。死にたいと言う気持ちも非常に強かったが。死にたかったら死ねと言うスタンスの元夫もいた。数ヶ月してあの時死にたかったと言ったら、死ねば良かったのにと言われた。ひとりでいった。身内のつきそいはありませんか?同行は?と聞かれて「頼んだけどあのひとは来ないですしいいんです」と答えた「旦那さんに手紙を書きましょうか」と名古屋市大病院の先生は言ってくれた。「いいです・・・」と言った無駄どころか無視されたり逆上されたりするだろう自分のDV原因で妻が鬱になっているのだから逃げたかったのだと思う。まだその時は病院の先生に夫がモラハラだDVだとはいえていなかった頭も混乱して情報が整理できず、何かを説明する気力もなかった仕事が無い水曜日の前日に「明日午前中お休みなら病院に送ってくれませんか。着いてきてくれませんか」と頼んだけど元夫は起きなかった。家で本当にぐっすり寝ていた。わたしは水曜日一人で病院に行った。その次の日に元夫が仕事を寝過ごした「お客さんに「妻がうつ病で病院に連れて行くから」っていってもいいか」と言われた。嘘を言おうとしていた。前日爆睡して寝ていてついてきてくれなかったのに。ワタシの大事な人の1人たりとも私が鬱になったと相談してくれたりしていないのに。買い物一つ頼まれてくれないのに。同行しようしていないのにソレにいいよって言うわけな産後うつのような若い夫婦が毎週いて毎回旦那さんが着いてきてくれていているひとがいたワタシも重症でも夫いない私の全然知らない人に、自分の寝坊を気軽に「妻が「うつ病」」だと嘘で使おうとしたなのにワタシの友人や身内に相談したりはしない妻が弱いというのを自分の仕事先の遅刻や寝過ごしの言い訳に使って実際は看病も家事の分担も助けてはくれなかった。妻が鬱で病院に連れて行くと言う嘘を言うのを了承できない大体、通院日はまえもってわかっているものだし「病院にきてほしい、いいよといったのに来てくれなかったのに???」とひとこと言ったらなんだとおおおおお!!と顔を真っ赤にして大声で叫び、逆上して身体を掴まれて振り回されたしばらく怒りが収まらなかった。粘着的に怒りが続いて恐ろしかった。ショックで動悸が激しく体が痺れてまた具合が悪くなった。前日大学病院への通院を無視されたうえ良いよとは言えなかった強い薬を飲んで半年して改善してきたときに元夫は「外で働いたこともないくせに!!!!」と私がさらに混乱する嘘を言いながら怒鳴りながら叫んで首根っこをつかんでわたしをぶんぶんと体を振り回したりした私が、働いたことがないならじゃあどこで結婚前に出会ったんだよ!?その気がなかった私に、仕事中にヘイ!ヘイ!と言いながらどんどんきたんだろうが?私の働いている課に出向で名古屋からきたんだろうが私がはたらいたことがない人間だと行ったことを撤回してくれなかった違う違う違うそれは現実ではない!!!と思ったけど本当にそうなのか、無能な人間だと思い込んで、よくわからなくなっていた。「外で一度もはたらいたことがない」ワタシに、「おまえは仕事ができなかったからおまえは辞めたんだ!」というような暗示もなんどもうけた今思い返したら事実は原子力が不景気に一時期なった時、同じ課の同期の男女とも他の世代が近い入社の人達も協力会社の人も(同期は、みな他に配属されてわたしをあわせてNくんと2人になった)同じグループのの名古屋の優秀な大学卒の一つ後輩すらも、別の部署に配属にされたあとも(細谷も名古屋に返された)「今井さん周りから引き留めがあって残した」本当に言葉で言われたんだ。だから頑張って欲しいと期待してると。下がギブアップするあのきびしいSつかさんについて行ったのは私ともう一人(いつも筋トレしている体力自慢の人がいた)だけですごいよ、○さんも課長も驚いているってGMが言ってました。課長が、本体からも強く引き留められたから1人残した期待していると言ってた。課には本当に私以外には技術系の女子は7年上入社の女性とわたしと2人だけになって誰もいなくなった。課長から「部の女子のリーダーになって引っ張ってほしい」と本当に言われた。そのことが誇りだったのに当時タイムリにその話元夫にしたことあるはずだけど事実を無かったことにする逆に元夫は引き留めに会うことがなく最初から決められた通りに、名古屋に返された私の若いときに仕事をしていたエリアにはセンスがあったり、人格が優れていたり優秀な人間が多くいた。人が多いぶんダメな人もいたかもだけど抜きに出ている人が。しかし、のちほど、元夫は名古屋では「まわりは「バカばっかり」」というようになっていた東京にはあいつより優秀な人が沢山居たと思うけど。人格的にもすごい人が。元夫はさっと名古屋にもどされたじゃないか宏の朝遅刻で有給が全部無くなっていたが、ところを心配してくれる人がいた電話を頼まれてよく当時1階まで行って電話してあげていた。元夫が起因する多くのことで、わたしが鬱やパニック障害になり頭も身体も動かずそれを過去にあった現実すら無かったことにして追い詰めようとしていた最後頃はもはや存在自体を無視された使い物にならなくなったから家事は「頼んでいない!!!!!!」そうです(結婚している間、仕事を外でフルでして1円ももらえない仕事の手伝いをしながらも家事は二人分していた!)自殺させたかったのだと思う普通の人間なら死んでいるけど死んでいないけどその時魂は死んでいた私が悪いんだろうかわたしがいけないんだろうか半分そう思わされてもいた#細谷#DV#虐待#トラウマ