気持ちが変わったという
その頃わたしはだんだんとこの世で外の世界と内側が分離していっていた(暴力や恫喝、虐待によって、力の弱い身内を意志通り、思い通りにさせようとする衝動が抑えられなかった元夫その恐ろしい長い長い時さえすぎればそれを何もなかったかのように過ごして、認めようとしない人間そして相手がダメになるとこれがダメなら次と、パートナーなどの女性に、DVや人格否定をする人間性を隠して、次の犠牲、次の女性、相手を探す)「昨日暴力と恫喝を夫から受けました」と血の気のひく思いで心が怖さに震えながら次の日誰にも言えずPCに座ってホ〇ヤ氏の仕事の明細や請求書を作たり、PCの会計ソフトに入力をする(お給料はない)「うっせーーーーーーーーー!!!!!!人の気持ちは変わるんだーーーー!!!」大声、すぐにはおさまらない罵声がずっと続き「りこんしたいんだけどーーーー!!!!!!!!」恫喝を受けながら何もしていないのに突然暴力激痛がその後ひかなくて行きたく無い病院に1週間後に行くと骨がひびがはいっていた。たくさんのあざ。大げさにするとH氏に罵られる三菱病院の先生にコルセットをするように言われたが断る。けがをさせてしているのに軽いかんじ「ごめんねいたかった」肩がぶつかったぐらいの怖い狂っているねおかしいよねその前の時には顔面をビンタで鼻血出しているのにもう手をあげたり足を出したりすることに麻痺していてビンタ後も怒り収まらず怒鳴り続けて、怒りで顔真っ赤だったよね手で殴るほうがいいよね手を使うのももったいないと後半は足が多かったよね殴る手が痛いのか、足が多いなと思っていました。横倒しになってけられてけられておなかをまもってウ!ウ!う・・・・って最初に若い時にアノヒト見かけたころはワタシの方は、異性としては氏を意識してなく、H氏は私のいた課に名古屋の子会社から出向で来た人だった当時は向こうからオシにオサれた最初、ある年末の夜にホ〇〇氏が1人で告白しに家まで来た(あの方はサイコパスだからそんなことができるんだねと今は思うけど若くてわからなかった)冬に入ったころで、電話で返事したのは気持ちは有難くもそういう風に意識していなかったから・・と返事したが(そんなぼんやりした答え方ではダメなのです!)何か月もずっと好きだ好きだといってきて春になるころ同じ課の同期世代とのお花見の場所で「ね?みんなに言っていい?」とそのメンバーの前で言い、え?え?え?何を・・?そうすると「自分とい〇〇さんは付き合ってるんだ」という発言をして急展開え?え?「そうだったんだ~~♡」「え~~~」急激な展開となった周りから固められたと後で気づいたそのようなことが初めてでその場で否定することができなくて先回りされてながされてしまった。今の自分ならそんなこと絶対にムリで怒るけども結婚しようと言われ苗字を変えて大好な街の住むところまで変え待遇が良くて多くの素敵な同僚のいる企業を辞めて(元夫の会社の親会社で私は就職していた。東京、が好き、会社が良い企業「やめることを迷っている」と何度も言ったが意味不明だが、色々言われて説得されて(言いくるめるためのうそが半分はあった詳細は書かないけど決定打となった説得は結局、おそらく嘘だった)ここまで一心に思ってくれて追いかけてくれるならそういうものか、幸せになれると思ったから。DV行為というものがあとでどんな風に変化していくのか若くて分からなかった東京で良い暮らしが出来て自由な感じの社風で優秀な人がたくさんいるしっかりした福利厚生、長い連休、フレックス、生理休暇もとれる、産業医がいる社食も安いし、沢山ある。自立できていた職場。技術も最先端だった。私は毎月アスキーみたいな本を買って読んでいた。(辞めてきて欲しい→辞めるのつらいもったいない東京が好き→まだ辞めるのいってないの?というやり取りがあった。辞めさせて1人で自立していた頃の倍働かされて元夫からお給料はもらえない、服も買えない、美容院にも行けないことになった。家事は二人分ひとりぼっちだった。(シャツのアイロンのかけ方が悪いと激怒して胸倉をいきなりつかまれたことも)大好きだった東京や良い親会社をやめてまで、暴行や虐待を受ける生活になったのは自己責任だろうか。あんなひと嘘やその場しのぎのだましの言葉ばかりで、狙われたら最後の事故みたいなものです。(恐ろしいDVを受けながら惨)ほんとにほんの少しずれていたらとかそういうことが数え切れぬたくさんあったが、神様がついていてくれたのか今、生きている新卒の会社はGM(主任さん)にもこの厳しい仕事についてこれて驚いている。「将来に目をかけているよ」といってもらい、課長さんにも「優秀と聞いている」と言葉で聞いて覚えているのに(ワタシは自分で他人に言ったりしたことはないけど当時は難易度の高い仕事に対して仕事や人物の評価がよかった。原子力の課で大幅なリストラがあったけれど私はいないと困るから残ってほしいと他方ニーズがあると言われて残された。「期待している」からと言ってもらった。課で勤務する女子は十二人いたが二人になった、同期の女子も私より一つ下の)元夫は「仕事ができないからお前はやめたんだ」「外で働いたことがないくせに」気が狂う嘘を、殴りながら言われた。手ならまだいいが後半2年ぐらいは足を使う暴力が青くなった手を使う虐待すらもうおっくうになったのとおもう床、ひきずりまわされて、恫喝されながら「ウっッツウ”!!!!!!」と顔を真っ赤にしながらけりが何度もはいった元夫こそ、東京の仕事、まだいてほしいと引き止められずに予定通り名古屋に戻されたのに仲良しだった東京の友人とも離れ大好きだった人生の師匠とも言えた通っていた絵の教室もあきらめていろいろなことを引き換えに結婚自分で決めたからと10年以上経た結婚生活の最後のほうまでは口に出さずいた口に出せなかったのは口に出させてもらえなかった考えていることなどはのみこんで遠慮していた呪縛を神様といてください記憶をけしてくださいPTSD#hosoyahiroshi#DV”DV夫