自分の心を再び傷つけることを思いださない
過去の思い出の苦しさが今おこっているかのように雨のように降ってくることがある。「死ねばよかったのに!!ー!」「頼むから!死んでくんない!っっ」叫びながら暴力!元夫に叫びながら掴みかかられるヒトが自分。録画したテレビの内容を話した。ムシ?の居所が悪くその話は、ひろしの耳に入らなかった。そしてあの人は大声で突然叫んだ。突然爆発は起こる。起こってから長時間恐ろしいことが続く。ぎゃくたい。わたしの骨にヒビが入るまで、なんかいもなぐった。罰としてずぅーと、わたしがうけてきた、、体の痛みはなかったことにしているか。ズキ。ズシ。場面が、今の日常にも断片として入り込んでくる。「もうサーわかれたいんだけどっっ!!」ぼかっ。けり!リモコンでガッガッガッ。??????だいたい五発肋骨のあたりを殴られる自分。しばらく息をするのも痛い、深呼吸では超痛、病院へ行くと折れる手前でヒビが入っていると診断受ける。2ヶ月痛みと苦しみ。(わたしはなぜ負傷したかを言わず。どうすべきかを誤っていて、この時点でヒロシ傷害罪)愛とか情とか良い思い出とか一緒に大笑いした思い出、若かった20代中盤からの記憶。そういったもの人生に同じ時を過ごした思い出がある。反論され「そんなものは無い!!」わたしにはあるのに無い!と叫び蹴りあげる。うるさい!ひとは変わるんだ!!ひとは変わるんだ!!!怒号、叫んでいた。蹴られなから冷蔵庫の所まで追い詰められて頭突きを数回。目が座り、顔が真っ赤になっていて。怖くて足がガクガクになる。情とか思い出。優しさ。暮らし。ささやかな思いやり。、生きていくのに必要なもの、大切だと私がおもってきたもの。恐怖や怒りで塗り替えようとする。死ぬときはも持っていけるものは思い出。そのことを負の力を使って全身で宏否定してきた。死にたいと思いました。なんでうちは子供がいないんだ!!(あの人はわたしが流産した時もすごいふるまいだった。パニック障害のままでは妊娠中飲めない薬を飲み続けないために認知行動療法を受けて直した。苦しい時に離れなかった、助けた。何をしてもあの人には私が自分にしてくれることが足りないのだ。人生の全てをわたしに被せてくる)いつ出て行くんだ!おい、おい。いつだ。何月何日目だ。出て行け。いつ出て行くんだ!!怒号が響いて耳や脳や心に、体に、痛みをうける。おれはしってるんだぞ。何を知ってたというの。なにをしってるというの。何も知らないじゃない。結局何もわかってないじゃないですか...結婚生活最初ワガママも言わなかったし良い子にしていた。希望の職につけ希望の会社に入れて好きな人達がいて、お給料もお休みも良かった東京の会社を辞めて知らない土地に。名古屋にお嫁のために来てから以降はは宏との関係性を考えて考えすぎた。どうして暴力がおこるのか。自分を見失って目がすわり、怒りのために全力でキレて、暴力になるのか。数日すると無かったことのように振る舞うのか。どうしてそれに私もそれに従ってしまうのか。外でわたしがそのことで少しでも不利益があるような振る舞いをすると後から罰をうける。機嫌を損ねないために損ねないようにしていることすらわからないように自然に振る舞う。考えても勉強しても、本を読んでも調べても他人事ではなく私がDVを受けている当事者であるので神経の病気になった。心が蝕まれ恐ろしい内側のせかいとが分離していて、どっちかにいる。すごく働いた。身を粉に。いろいろ。メーターが振り切れるとわけがわからなくなりどんなことをしてでも相手を傷つけようとしてしまう・・・いったことがある。そしてその事実を言うだけで、そも対処をしない。サンドバックが一緒に住んでいて。サンドバッグがすり切れるまで毎回やりきる。サンドバッグはわたし。ワタシの靴が汚れているだけでさらに靴を踏みつけて歯を食いしばりながら俺から今すぐ離れろ!と睨みつける。嫌ならぼうりょくをしそうなら、自分が相手から離れるようなアンガーコントロール。それを15年間しようとしなかった。言われるがまま走って逃げて姿を隠しその場を立ち去るのはわたしだった。体をおさえつけられて暴力。虐待。人格を全力否定する言葉を叫び追ってくる。頭の中、心?精神?体?罪人としてあのひとに責められる。体もこころもおかしくなっていきました。客観的に自分に起こっていることが認識できなくなっていきました。無かったかのようにして外で見て来た楽しい話をしたり相手の不機嫌な時は空気を買えるように努力しました。渦中にいるので外から見ら怖い光景に気がつかないわたしもヘンだったのです。普通の人は、一度でもそんなことがあったら大変なことだよ。それをそんなに...という風にあとで友人に言われた。別人のように楽しい良い人になったりもするのです。だけど恐ろしい時間に対する耐性は付かず、耐える力がなくなり思考力が落ち、眠ることも食べることも考えることもすべて難しくなりました。捕まえられそうところを何度も振り払い全速力で裸足で階段を走り、降りてドアの外にわたし逃げてそれを追いかけてきて首根っこを捕まえられて家の中に引きずり戻され、怖くて心臓がドキドキうって、心が破裂しそうになってそしてまた階段を二段抜かしで降りて逃げてでも捕まえられて防音の効いたマンションの部屋に戻されて。わたし自身は血の気が引き。叫ぶような怒鳴り声でひどい言葉を言う。暴力をうける。外から見てわからないような身体位置に何回か蹴りを入れられる。後で何にもなかったように相手が振る舞うとそのときのことが夢のようにも感じてくる。たいしことでもないよ。ななんとかなるんだきっと?行けでて行けーーー!きさま!おまえ!本気じゃないだろうと。 結婚して八年ぐらい前は絶対にでて行けとは言わなかった。したことに涙したりして。思考力も活動量も落ちて相手が望むような動きがますますできなくなってきてからは本当の虐待のようなことになる。全く頭働かなくなりどうしてしまったんだろう。気が張っている状態キープできない。向こうから見たら反応が悪いしなまけているようにみえるから余計に事態が悪化していきました。キレたときの目の血走り、ほんき、狂気とおもいました。もうなにかの一ミリの狂いでワタシ死ぬ。体を掴んで振り回されて、襟元や首元を掴んで大声で叫んいる。わたしのことは許されることはない。ごめんなさい、ごめん、ごめん、ごめんなさいと、なきながらといっても耳に入っていない。謝れ!と五分後に言う。あやまった。あやまってる。何度も言ったと言っても。ウソだ!!言ってない!と言われる。心から言ってない。ともいう。イカリの都合の良いように事実を歪められる。頭がコントロールが効かなくなりおかしくなり、あの人が仕事にたいしてもわたしは本当に使い物にならなくなっていました。まわらなくても無理をして無理をした。発作が起こり息ができず体がしびれて動悸がマックスになり体からおかしくて苦しくて床をはってトイレまであるいたりしました。呼吸もできず息ができない。身体が苦しい。苦しい助けて。収まって顔をみると真っ青に顔がなっているた体重計に乗ったら体重が突如38キロで。身長156.体重38。あっという間にそんな体重になって。死ぬのではというほど体がおかしくトイレに間に合わなかったり。うつとおもっていなくて病院でたまたま指摘されました。そこ薬は、大学病院で。最初半錠から始まり、脳の薬を一度にマックスまであがりました。鬱が重症だったからです。初日は病院の長椅子にももう座る力が無くからだがくるしくよこになっていて別室にうつされて点滴をしました。ずっともうものを食べる力がまったくなくなっていた。なにかを食べたいとはまったくおもわくて食べられない。ずっと寝ることができない。お箸一つ洗うことが、恐ろしくて恐ろしくて辛くて辛くてできない。立って歩いて洗面所まで行くこともできない。でも、なみだをながしながらやりました。苦しくて、考えるのは、電車、車に、飛び込むこと、飛び降りること、飛び込むこと。このタイミングで飛び込もう、このタイミングで飛び降りようその反芻をし続けて、あなたは必ず来なさい、具合が悪ければ来なさい、市大病院の先生が励ましてくれした。DVとは言いませんでした。わたしが弱いからなったのだと自分も責めた。そのあと新薬がマックスから減薬になって3年かかって一錠にもどした状況でした。薬が効いたけど何か最新の新薬で、脳を無理やり調整したような感じで集中力はまったくない。笑いのツボがすごくひろくなり見た目は、大声で笑うひと、元気にみえるわたし。変わったね!なにか明るくなったね。と習い事の友達からいわれた。他者から見ると見た目は普通に見える。頭の中の混乱はそのまま。普通に振る舞うのが苦しくてもそう見えるようにするのが役目。今どんな感じ?(仕事を頼むときの言い方。かならず頭がおいづかずにぐちゃぐちゃになる)あのひとに聞かれるのか辛かった。相手の望む思ったレベルになければてきとつにやって!と、何かを大きな音でたたきつけてものをこわし暴れ、大声で怒鳴り酷い言葉を言ってた。徹夜で作った書類をビリビリに破かれてまた午前中やり直して寝ずに仕事にでた。頼みごとをすることのやる気になるのではなく恐怖で支配するモチベーションが負のものであるため。家事も結婚して忙しくても二人分わたしが、すべてずっと家事をする。深夜でも早朝でもDVと暴力。結婚してすぐの酷い暴行があった。コンクリに近い固いところに体と頭叩きつけられて、頭の後頭部を強打した。視界がカッとなって痛かった。打ち付けたときに頭がゴッといった。痛みは想像できかねるほど痛く。痛いという痛みというか激痛で気が遠くなった。血の気が引いた。視界が青くなった。4本指をそろえたサイズよりも大きなコブができた。そのとき、暴力の時の痣は赤いのや紫や。朝イチに相手の機嫌を読みめなかったわたし。なにか事実を勘違いして向こうがキレた。カウンセリングに行くと言ってくれた。すぐに辞めてしまった。そのときはまだ結婚して5年もたっていなかった。「彼はもう怒って来なくなった。自分と向き合えない。あなたは自分の言い分をいって資金もらって去るべきだ」東京にまた戻って働きたいそのカウンセラーに言った。では慰謝料を下さいといいなさい。それで東京にまた戻りたいといいなさい。。そのようにしないとあなたがだめになるよ。離れてまた新しい人生にしなさい」結婚って覚悟だと勝手に思っていたから。真面目だったからその人の言うことを聞かなかった。親身になってくれた人のアドバイス聞いて、その30代前半で切り替えていれば今みたいにならなかった。自分で自分を大切にしない自分にバチがあたった。その時一人暮らしの友達の家に一週間以上お世話になった。友達とその彼が私の話を聞いてくれた。アザもみせた。謝られ暴力を治す、と言った。それでそうなるといいねと戻りました。さみしくなってさっぱりと普通の喧嘩のような収まりで家出から戻った。そのときに「もどったんだ」って友達ひとこと言いました。結婚のことは本人で他人が責任をとれない。 その大人の友達は、他は何も言わなかった。そのあとはその友人にもDVの話をしなかった。暴力を男性から受けるような人間でそれを受け入れて結婚ているような自分が恥ずかしい。良い面を見たと思うときもあり、一緒にいるひとを悪く?思われたくない。自分で自分の心に蓋をした。「相手が気に触ることを言ったんだ。わたしも問題がある人間なんだ」と考えり、酷い人なのを見てないふりをしているどっちなのか心がブレていく。俺を頼むから怒らせるな!!!とよく言っていた。お前は俺を怒らせる名人だ!!スイッチが入ると大声でひどい言葉を言い続けて叫び続けて胸元を掴まれて、振り回される。首根っこをつかまれて床にたたきつけられる。先に寝ていて睡眠状態の時に、ふとんごと蹴り敷き布団と掛け布団を大きな力でひっぱり、私が布団から転がらされてだされてそして、あの人何か大声で叫んで蹴る。妻に対して後ろめたい時に自分を責めて攻めた感情、それすらもわたしに向かう。俺は病気だ。何度も自分で言う。でも治療に通えたりも知人、身内にも相談したりも向き合えない。サンドバッグになっている妻は世間に黙っているからそれで良しと甘えられていたのかもしれない。マンションを出たらそのマンションで既婚の方とすぐ暮らし始めた。家を出る前の二年はずっと家庭内では無視をされた。無視は辛い。あのひとにとってつかいものにならなくなったので家庭内の中でも居ないかのように振る舞う時が多く、気が向いた20分の1ぐらいのせかいで、普通の旦那さんの言動をするときもある。暴力の仕方は、雑になり悪化した。手より足が多くなった。蹴りあげられる。腰や、太ももや、背中や、腕。外から見てなるべく分からないところをされる。妻は家事は夫婦分やり外で働いて食費を出し、夫の仕事は喜んで手伝わなければならない。人間扱いされていなかった。逃げる判断力もなにもあまりなかった。ばらんすがくちゃぐちゃ。一番上に書いたように肋骨が。離婚したいんだけど!と叫びながら殴られた大きく振りかぶり鼻血が出るほどに往復ビンタだったりした日は、一日ビジネスホテルにとまった。正月の4日に。日常的な暴力。裁判やら告訴やらする元気は全然なくて息するだけ必死で出た。人といるときも元気なふりもできなくなり外の色も音も景色も頭に入ってこないようになっていた。義理のお母さんにお別れと思って二月に遊びに来た時に親切にした。義理のお母さんは具体的には知らない。こうこうねーとむすこのこともわたしのことも褒めてくれた。あのこはあなたのこと大好きだとおもうのよー。あのこがごめんねと言っていた。(わたしのことをアノヒトもうあまり好きでは無いのです、、私はもう、つかいものにならないから。)心で言いました。何でお前いるの?おまえみたいな人間がなんでいきてるの?それが宏の私への思い。うちのお母さんが来た時は、母を嫌い酷い仕打ちをした。わたしと母を無視をし怒った。そのときに、母は娘とその夫の関係性を知らずに正座して、頭を下げて、娘を妻としてみてあげてください。というようなことを頼んだ。だけどはぁー???と言う顔をしました。その数年前にわたし実家に帰った時があった。食べられずに体もおかしくて心がいっぱいで会話ができなかった。苦しくて会話も成立せずに過ごしていた。ほとんど口をききませんでした。あなたどうしたの?と何回も聞かれても言葉がでてこなかった。母がお洒落な習字を一緒にしよう。年賀状用だよ。金粉とばしたら綺麗でしょ。そのときに涙が止まらずなんで泣きよるんかな?どうしたの?と聞かれた。言葉が一言も出なくてわーんと、めちゃくちゃに泣きました。元気出してー。ほらー。どうしたんかね。ふぁいとふぁいと。と。でもなにもまた言えず泣いた。だから何かおかしいから、母が来たとき頼んでくれた。連日私の頭を連日おかしくして、無視と暴力と経済的締め上げとで自殺させたいかもだけど死んだら本当に悲しいふりをするだろう。実際悲しんで後悔するだろう。でもたぶん自分がしてきたことは過小評価するだろう。殴打。足で蹴られ、転がされてふくらはぎ痛めて。心のバランスがもうガタガタの。人生辛いとき以外、ほのぼのしていたかった。結婚というものは、素朴で働き者で可愛い奥さんが良かった。子供が欲しかった。実際起こっている二人の関係性の恐ろしい出来事と、それをうけいれないような笑っている違う時間。どんどん乖離していく。大切な20台後半から30代から40代半分台無しになった今も恐ろしい場面が勝手に浮かんでは自分を苦しめる。最後頃はリミッターの触れかたと執拗さが強烈になった。叫び声が部屋中に響く。どんどんどんどん逃げ込んだ奥の部屋にみずを流し込まれたことがある。お風呂で水をくんではドアの下から水を流す。ザバーザバーと流す。何をしているの?この人はなにをしているの?ドアを力づくで、鍵をあけて入っていくると捕まれて、私自身が水をかけられる。叫びながらわたしのスマホを固いところにガンガン打ち付け、その後水につけた。部屋にあるものでわたしが大切にしていそうなものを大声を出しながら壊される。何をしているの?今何をされているの?頭がマッシロになり、2日後ぐらいから体がしびれたり息がくるしくなったりつらくてつらくてうごかなくなり考えることなくり。夜中にねようと、2時間ぐらいでガバっと起きてベランダに出た。おかしくなって急になきだしてずっとずっとあなたはわたしにひどいことをしているとてもひどいことをしていると、言い続けて泣いたりした。だらだらと泣きとまらずに言葉もとまらない。そうするとあははははは、、、と、バカにして笑いながら動画を撮り、写メをとられる。泣いているお前が醜いから撮るんだ!!ほら!!ほら!!事実じゃないか!!!!!!!!みろこれ!これみろ!恫喝しながら画面をこちらにむける。おまえが、醜いから撮ってやるんだ異様な世界歪んで殴られて傷、多数の打撲、筋を違える。肋骨が今もたまに冷えれば痛くなりそのイタイせいでその場面を思い出す当時夫殴られ痛くて寝られないので病院にきましたとは言わない。衝撃が処理できなくて言えないのです。助けてと言えない。現実感も自分でない。あまりに酷いことを叫び、耳で聞き、何度も同時に頭突きをされつつ痛みと叫び声に近い大きな声とで、脳に刻まれていて宏の怒鳴り声が脳内で、反復されている状態。自分に起こったことが処理不可能になるのです。結婚して五年目ぐらいすぎまでは。自分は強いと思ってかいかぶり、メンタルに変調はなかった。だけどだんだんおかしくなっていった。心のバランスが崩れるのが、二、三日後。痺れて体調が悪くなり体も動かなくなる。寝起きがおかしくなり実際に聞こえてはいない怒鳴り声が聞こえたりする。どんな恐ろしいことが次ぎは怒るんだろう。肋骨、何日化しても痛くて仕方なくビョイウンに。先生にコルセットしましょう?と言われて、オーバーだから良いといってしまう。「当てつけ。わざわざそんなものをつけて」そう言われると考えて、コルセットをしなかったせいか忘れていたころにいまも肋骨がそこがキリリとする度々足の打棒腰の打撲でも病院に行ってテーブルでつまずいた等嘘をつきました。次の日ではなく四日後ぐらいに激痛とれないために病院に行った。紫と赤の痣が。膝の裏側をひねり、太ももに10センチぐらいの青タンができ、膝の下にも青タンができ、7箇所ぐらい右足が痛い時に本当に痛くて伸ばせず、足を宏に、ひねられていて、少し引きずっていたら「ねえ、ねえ、それ当てつけ?本当にいたいの?ふつうに歩けるでしょ?何でそんな風に歩くの」と言う。イタくてら超痛い。変な色の青タンや赤い変な内出血が膝の横のところに大きくできて。膝の裏と、面が、変な色になっている。ひねったところは、ウン!!ウン!!て、大声で唸りながら宏さんが何度も蹴った。恐ろしい場面。掴んで、服のそでは引き裂かれて。現在進行形でいたみがあるところをイタイということ相手に言ったりそういう片鱗をつたえることは、自分自身、そうだ、、、あてつけだ。わたしはイヤミな人間だとそういう気がしてくる、痛くないように振る舞うようにした。宏の暴力で怪我をしているというのに「わざと足を引きずるの?」と言う異常な関係性「あなたのせいだ、蹴ったのは、痛いのは!」とは言いませんぴーーーーと、脳波が振り切れた状態周りの人や宏にわたしが身体の痛みがあるのはバレないようにしないといけない。普通に歩かないければ。あなたのせいで身体に傷をがある。これを言ってはいけない。言うとまた、その場でも、誰かそこにいたら、家に帰ってからでも、100パーセントキレて倍以上、怖い思いをする。イタイ?イタイカビョーインいく?ごめんね腕を掴まれて顔殴られて。三本指の字がうでにくっきりあるときにフラでティーシャツを来た時に、はっきりみえて自分で周りにも隠す。捻られて筋をかなり違えて整体に行ったときにあざだらけでもわたしは嘘をつく。夫に殴られましたというはずがないという前提です。悪い箇所というか「打撲」として青タンが出来ている箇所に○を書かれました。その場所に打撲があることに妥当な嘘をつきました。元旦那もその前提。警察についには14年目にしてから別れる年に内容を相談に行った。DV傷害罪告訴はしませんか。と警察の人は言った。マンションにも警察来た。しませんと言ってしまう身に起こったことで頭、脳の中が飽和状態で、ピーーーーーーーとなっている状態で。混乱して、「そんなのはいいです」泣くだけになってしまった。虐待ような事が頻繁にある関係性とは誰にも知られないようにしなければいけなくて、本音を書くなんてつらくて悲しくて。心の底から、助けてと大声で、言えなかった。一ミリとて人前でなんだかちょっとしんどい、辛いんですという空気を出してしまったら察しておい!!!さっきの態度は何だ!!!!とやられるのです。昔馴染みの同僚が奥さんを連れて来てその夫婦の旦那さんが奥さんを大切にしているところに呼ばれて集まって楽しく皆に気を使って感じよく楽しく過ごしていたその後でもなぜか、皆と別れてから意味もなくわたしはDVを受ける。恐ろしいことが起きる。スイッチが入る。リミッターがふれる。二人以外の外の世界には、絶対に楽しそうに夫婦仲良さそうにしていなければならない。宏が気分次第で優しいことを言ったりする。コロコロ変わる。警察にただ行っただけでもその自分が恐ろしかった。普通の弱い人間です。警察なんて怖い。わたしの人生全体の可能性や、頭の中を、体調をぐちゃぐちゃにし続けて反省せずわかりもせず。悔しい。あちらの家族の人からは誰からもわたしの両親にも、謝られていない。息子が暴力を日常的にしていたことを。虐待を。2011年完全に心のバランスが崩れて頭の中がぴーーーーーとなって何もかもわからなくなった。病院で後で時間とれますか?と言われ。ものすごく頭が良い先生と二時間話して苦しくて苦しくて詳しくは覚えていないのですが大学病院の先生にあなたは鬱です。鬱にかかっていらっしゃるので、パニック障害のプログラムの受け直しは、通うのが今は難しいですと。そう言われても鬱?!!?てなんのこと?と。その場でわーーーと、泣いてわけがわからず怖い怖い!!こわい!!怖いっ!!!大声で連発しました。食べることも寝ることも動くことも座っていることもできなかった。とにかく苦しかった。ずっと何かの発作が起こっているかのように体が苦しく、五メートル歩いて、ものを取りに行くのも恐怖となった。脳の中がエラー。鬱が重篤で、起き上がれもせず。お医者様に家族に説明するので一緒に話し聞いてもらえますか?と言われても夫は助けてくれなかった。当たり前。歩くのがやっとで家で寝ていても通院に協力してももらえなかった。夫のDVがある暴力があるとは一度も先生に言わなかった。市大病院には、家族ときている人は待合室にたくさんいた。ウツでだめそうな人に家族が付き添っていた。絶対に来なさいと先生に言われた日に病院に向かうときには宏は家でぐっすり長々と寝ていた。家族ではないんだな。病院どうだった?とか大丈夫とか。気休めは言わない。その頃体に症状が出て苦しすぎて自殺への反芻がすごかった。死への反芻がすごかった。死の危険と間違うような発作が何度も起きて廊下やキッチンの床をはっていました。死ねばいいと思われていた。死ねばよかったのにとといってた。もっともっと追い詰めるようなことをされていた。他人事のように、そして外の人に自分の都合の良いように宏は嘘をつき、そしてわたし自身一番辛い時に助けてはもらえなかった。新薬の薬を大量処方まで増えて。からだか動くようになった。笑うと止まらなくなるような、無理やり気分を上げるかのようなやる気が出る不思議な薬。マイナスのことが考えられなくなる。あなたはうつ病です。最初に言われたときに。通常の全体の診療時間が終わってから、後で診察したいので残ってくださいと言われ多様な感じだつまた。待っている間にもう起き上がれなかったので横になっていたら別室のベッドがあるところに看護婦さんが寝かせてくれた。点滴をうちました。上に書いたけど、怖い!怖い!連発して。うつ病じゃない!!!!うつ病じゃない!と自分ではたぶん言っていました。大声で泣いた。こういった新しい薬があってあなたは治る為に、薬を飲まなければいけない・・。「薬をのまされて実験台にされる!!」と本気で思って泣いた。新しい薬で実験台にされると思って何回も断った。薬が効くまで数週間かかるというそのやつ。その前に、もうただ皿を洗うだけのことが針山に崖から飛び込みなさいと今言われているかのようにつらくなりました。だけど、市大病院の薬、ききはじめた。薬がすごくてマイナスなことが考えられなくなる。細かいことまで楽しくなる。多分脳の中を?無理やり、底上げして。四年ほどかかった。大学病院の先生のところに通い、ヨウカイという状態になりました。出会わなければ好きだった職場で働けていただほう。20代は一人暮らしをして、働いて趣味のダイビングをしてバンドをして演劇を見て、海外旅行にいっていた。仲間もいて、皆のことが大好きで楽しかった。むかし自力で立っていたことを忘れさせようということを宏に何度もされた。何度もそうされた。会社時代の思い出のもの勝手に捨てられた。上に書いた、病院でのメンタルの治療に入ってから混乱している私に、外で働いたことがないくせに!とかおかしな事実でないことまで言っていた。外で働いたことがない人間が。と。事実でないことを言う。付き合う時に何ヶ月も交際を言われて付き合い始めて望まれてと思って会社も辞めてほしいって。すごく躊躇して会社を辞めれなくて生活もどうなるのかなと思っていたりしたけど「辞めるって言えないの?」という風な「もうやめるって言った?」若い頃のあの人だった。辞めたのは自身の選択で自己責任はわかってる。自分の身に起こって居た恐ろしい出来事がだんだん混乱から取れてきたような。一歩でも一ミリでもで大怪我か、死んで居たような場面がたくさんあった。家庭の生活の上では何もせず本当に全てに手がかかり、わたしは鬱になる前は生活苦から病院にも二年以上行けず、靴も上着も一枚も買わなかった。冬の上着パニック障害でもいけるパートのところに行って、同じものをずっと着ていて30後半から神経が、完全におかしくなってエラーを起こした。宏は朝起きれなかった。起こすためにわたしは職場から彼の会社のフレックスギリギリによく電話をかけた。会社に時々行かれなくて、毎年有給は宏はそれで全て無くなっていた。宏が急に仕事を退職した時。仕事のストレスがあるのだと感じていた。やめたらもしかしたらいろんなことが解消されるのかと。だから、それでもいいよと。資格のお勉強応援するよと。無職の人の妻の時期が始まった。結婚してし派遣の生活費から夫婦二人分の生活費を払っていた財布が別だったから。家事はぜんぶみずえがやる。わたしが出す二人分の生活費より安い家賃のところにすんでいた。給料が少ないワタシのほうがアウト率が大きい。けど当時はわたしもきにしていなかった。だけどどっちがどっちの貯金とかかんけーないと宏が常日毎いってた。当時、財布が別で自分の派遣代で二人分の買い物をいつもしていた。自分でできた貯金は、宏に説得されて、全部マンション関係に差し出して、わたし貯金がゼロになっていた。逃げられない。この資格を取ったら俺は年収〇〇〇〇万になる!と言っていた。そんな資格があるの。うまくいくかな?そんなもんあるのかな無職で。勉強を始めました。心から応援した。生活のリズムもあちらの自由でした。深夜に勉強して昼間寝る。夜食のおにぎりを作り、お茶を入れたり受験生の母のようになった。気をつかった。先が見えないけど尽くした、それしかないから応援した。面接のときもこうしようああしようとうまくいくように祈っていろんなことを言った。だけど仕事が軌道に乗ったから、役立たずになったやつを追い出しました。厄介者になりました。1,2か月を待たず既婚者の若い愛人をパートナーにしました。わたしば自分から出たかのように振る舞いました。裁判にも告訴もしませんでした。そんなもん元旦那、傷害罪だよ!?と誰かに言われた。名前を、ペンで書くのも精一杯。無職で何もなく、一人で小さい狭いアパートを借りました。荷を出した。今頭金を用意すればこれだけたすかると言われ、自分の貯金口座をゼロにしました。わたしの身内に10年以内に返すと言ったマンションの身内に頼んだ頭金は、おまえが住んだんから関係ないといちました。頼まれて親に借りた。新しいところに行ったら新しいマンションにいったら暴力をやめるよといわれて言ってた。30歳前後でしんしだ。「本当?」と聞いて。ヒロシに頼まれて身内に頭金を借りられるように電話した。二人で住むところで頭金を用意したら倍以上あとで返済が楽になると具体的に行っていた。すぐに虐待を受けた。具体的にその時の映像が浮かび、心がその度に傷つく。約束したのに。マンションに来たらって..て泣くと。カネカネ言いやがってー!そんなに金が欲しいか?ほら、ほら。財布にはいっている札をくしゃくしゃにつかんでわたしのほおにあててリビングのドアの扉にわたしの頭を押さえつけられた。向こうは忘れているだろう。自分のためにお金を借りて逃げるべきだったのだ。2003年。結婚して何年モカは生活費などももらわずにわたしは働いて二人分の生活費を全部出していた。わたしの派遣のお給料は良くも悪くはなかった。ちゃんとした企業の正社員の夫よりははるかに安い。安いけどとうじ二人分の生活費を出し、とうじお金のやりとりはなかった。家事も全部していた。今思えば夫のいた会社の親会社に勤めていたのに。ずっとわたしが働くのならなぜ東京から結婚するために、仕事をやめてきてくれとヒロシは言ったのか。仕事を辞めることを迷っていたら何度も何度もまだ辞めるっていってないの?と言ってた。なぜやめてきて欲しいと言ったのか。やめて名古屋に来て半年経って、、あっ、働かないと。と思った。わたし無職だがご飯を作るが食費なども何ももらっていなくてわたしは自分の貯金を下ろしていた。覚えていないだろう。だけど中郷に住んでいたとうじ、わたしに二人分の生活費、現金を渡した記憶もないだろう。二人分の生活費はわたしの財布から出していてすぐ派遣で働き始めてからは派遣のお給料でふたりぶんだしていた。そういうことだった。毎月いくらも渡した記憶がないだろう。わたしが二人分払って安いアパートに住んでいるのだからヒロシの口座に現金がたまる。「俺の分の頭金」とマンションを買う時に言っていた。経済的DV,それで相手の口座にお金が貯まる。どっちがどっちの金とかかんけいないだろ?と言っていた。そんなにかねがほしいならなーーー!!と大声できれていっていた。そしてさらに後から仕事をやめたらマンションが買えなくなると思ってさ!と言っていた。「サラリーマンを辞めるつもりでマンションを買ったと」?騙されたのだ。わたしの身内に、わたしは、あの人のいる時に電話をかけて旦那さんが10年以内に返すと言ってるから..といった。それは向こうがそういったから。沢山こうなったらこうなるんだ。と説得させられるけど半分は嘘だった。それをだんだんわかってきた。現実がそんなに都合が良いわけがない、現実を歪めて自分の良い方に解釈する病気。配偶者にそれを全てを道連れにする。だけどその別の日はまた、良い人なのです。いったことやしたことをすぐ忘れるのです。わからなくなり神経がおかしくなりました。家庭ではなく事務所に小さく住んでいる形となり深夜まで気を使う。心壊れていきました。何か暗いものに蝕まれていく。なお、繰り返し、壊れて暗いものが刺さっているところをこじ開けては、宏の闇が、わたしに向かい罵倒し絶叫し、体のうには痛みを受けてまた真っ黒なもの刻まれていく。時間が経てば薄れては来るのかというと、恐ろしい場面が鮮明に突然に出て来る。過去に怖かったことが出て来て。寝起きとかに鮮明にでて覚醒する。悪夢を良く見る。夢でも全人格を否定する酷いことを言って体をふりまわされおさえつけられけられ、なぐられつかまれている。相手のために全てを用意し完璧でなくてはいけない。気を抜いてしまうと感情の爆発をうけとる。普通にしてしまう気を抜いてします。かかってきた携帯電話を遅れてとると、携帯を折る。叫び怒鳴り見せつけながらガンガンガンガンとたたきつけたり折ったり水につける、こっちをみて、笑う、そして狂ったように怒る。歯止めはきかない。止まらない。新しい機種に変えるときの理由。DVの関係性が、結婚生活のスタートから最後まで続いておわるらせることは、、、ただ、わたしがでて行けと何度もいわれるがまま、ちゃんと時期も告げつつ、しかし夜逃げのようにして離れたことだった。ない力を振り絞って。大人同士、虐待をやり続ける相手も罪ならば、逃げられるのに逃げず受け続けず自分を傷つけていったわたしも罪なのです。双方の共依存関係は。最後に破綻するまで。バカな自分のバカな顛末