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カテゴリ:その他
久しぶりにPCから・・・。
棚卸しは無事に済んで随分ホッとはしたんですが 終わってない仕事が溜まってて、 まぁ、多分それも明日ある程度終わるだろうと思うんですが。 いかんせん調子があまりよろしくない。 今日も極端(?)に短い周期の躁鬱状態な1日を過ごしてました。 今もそう。 何か思いっきり泣きたい・・・。 独り言です。読んでて気分のよくなる内容ではないです。 何十回も書いている事。 それでもまた自分の心の整理の為に 書いて書いて・・・。 楽しい気持ちになったりもするんだけど、 色々自分の中で片付いてない問題でうじうじ。 自分は何でこんなに自分で何も決められない 役に立たない人間でうじうじ愚痴ってばかりで・・・。 こんなに打たれ弱くて生きていけるのかなとか 20後半にもなろうというのにこんなに幼くて子供みたいで 父親の次は母親に依存して・・・。 それどころか自分が自分で何も決められない事を 父親の事を理由にして・・・。 兄はきっと私の事は血が繋がっているから、という理由でしか 私を感じてくれてないし私も多分そうなんだと思う。 私は兄と仲良くなりたいと知りたいと思って、 でもそれが一人で空回りしてばっかりでもう嫌になった。 どうしたらいいんだろう。 父親が闘病中、その時は気付いてなかったけど 心身共に弱り、暗くすさんでいく父を見ていて私は 自分が思っていた以上にショックを受けていた。 自分の心を正直に出せない子供だったから。そのすべを知らなかったから。 それ以上に「大人」であり「母親」である 母は「現実」を受け入れて父の世話もしながら 私と兄を育てて家の事をして。 それをわかってくれる人が全く周りにいなかった訳ではないけれど 母が一番辛かったのだと、苦労したのだと思う。 暴力なんてもちろんふるわなかったけれど 父親が心身共に辛く私と母に八つ当たりのような言動をする事が 何回かあった。 先日他界したおばさんのように理解をして支えてくれる人はいたけれど それでも愚痴なんてほとんどこぼせず、 私はあの時母の愚痴なんて聞いた覚えが本当にない。 いつも私や兄の前では強く気丈にいてくれた。 あれで母が倒れていたら、弱かったら、 本当は母が倒れかねない状態だったと思うけれど 私はもっと辛い状態の子供時代を過ごしていたと思う。 母が守っていてくれた。 私は子供だったから甘える事が出来た。 でも母は誰にも甘える事なんて出来なかった。 全く手伝わなかった訳ではないけれど 家がそんな状態なのに私は結構ワガママを言っていたと思う。 もっと母親を実質的に家の事など、出来る範囲の事で 支えられていればと。 つい最近になって聞いた話がある。 父親が入退院を繰り返す中で母親に腫瘍が見付かった。 幸いにも良性の腫瘍ですぐに手術して取り除く事は出来たけれど 私はつい最近までその事を知らずにいた。 父親が大変な時期に自分まで病気に、 腫瘍が見付かり、それが悪性か良性か判明するまでは 本当に不安だったと言う。 父親は病気を抱えているけれど大人であるし病院がある。 兄もまだ未成年だったけれど19才という年齢なのでどうにか生きていく力はある。 けれど私はまだ小学生。 母親にもしもの事があっても、父も兄もいる。 親戚もいない訳ではない。 けれど私はまだ本当に子供の子供だったから もしも万が一自分の腫瘍が悪性だったらと 私を残していってしまう可能性があるかもしれないと苦しんだ時期は 本当に不安と孤独で苦しかったと、母は最近になって話してくれた。 結局私は何も知らずに、兄だけには手術をする事を話して無事に 回復も出来た訳だけれども・・・。 ちょうどその時にフリーアナウンサー、タレントだった逸見政孝さんが癌におかされている 事を公表した時期で自分と重なったと話していた。 母が守っていてくれたお陰で辛い思いは軽減されたけれど 弱っていく父親から離れていっていた。 私にとって父親は言葉では言い表せない程大切な存在だ。 父が、母がいなければ私はこの世に生まれてくる事が出来なかった。 甘やかして甘やかして、という部分もあったけれど それでも一番必要な「家庭」を作ってくれて 「愛情」をたくさん注いで好きな事をさせてくれて 私が頑張れば一番喜んでくれて。 そんな父親が弱っていくのを見るのはとても辛かった。 今思い返せば、とても辛い時期だった。 父は体よりも心が弱っていく一方で・・・。 今でも思い出す事がある。 父が他界する数日前に母と兄でお風呂に入れた時の父の背中が 忘れられない。 私は当時13才で、多少ふっくらはしていたがまだそう「太っている」という状態ではなかった。 確か45キロとかそんなもんだったと思う。 父親はそれよりも体重が軽かったのだ。 ギリギリ40キロあったかないか位。 身長は160センチ。 骨と皮だけで、痩せ細って、丸まった「生きている力」が感じられない 父の背中が未だに忘れられない。 当時は毎日を過ごす事にいっぱいで 父親が死ぬ、などとは考えていなかった。 このままの状態で毎日が続いていくのだと漠然と感じていた。 だから父が他界した時には苦しみから解放された気がした。 父の病気が・・・体よりも精神がよくなる事はなかっただろうし 結果論でしかないけれど、「生きている」のではなく「死んでいない」 状態が長かった父親にとっても苦しさから開放されてよかったのかもしれない。 今思えば、私は父親に甘えて甘えて、 テストでいい点を取れば父は物凄く喜んでくれて 私も父に喜んでもらいたいから勉強を頑張って 全て「父の為に」頑張っていた。 父親がいなくなった直後のテストからだった。 テストの前に鬱状態になり始め 全く食欲がなくなりテストが物凄く物凄く不安で 何もやる気が起きなくなり、勉強するのが怖くなった。 でも、その時は「そう思ってはいけない、頑張らなくてはいけない」 と思い込んで自分が疲れていたのにも気付かずに。 テストを過ぎればまた治る。けれどまたテスト前には鬱状態になる。 それでも繰り返していく内に受験が迫り、 私はとうとう教室で勉強をしたり、勉強だけでなく何かをしたりする事が 出来なくなっていった。 当時はそれを「そうなってはいけない事」だと思っていたから そのありのままの「自分の好きな事だけしたい、何もしたくない」 という事を出して受け入れる事が出来なかった。 幸いな事に保健室の先生と話をする事は、とてもとても 心が落ち着いて自分の話を聞いてもらうと安心出来て。 それまで家族や友達にいくら話しても不安が解消されなかったのに その先生にだけはたくさん自分の話を聞いてもらいたかった。 鬱状態になって以来、初めて心が本当に安心した。 母親に心配をかけたくないから話さなかったのではなく、 話しても安心出来なかった・・・。 母には申し訳なかったと思うけれど・・・。 その先生がいなかったら私はどうなっていたかわからない。 中学卒業後にも電話をたくさんしてしまったり 先生は私だけの先生ではないのに、 先生にもプライベートや辛い事がたくさんあるのに 自分の事しか考えられず随分迷惑をかけたと思う。 今は疎遠になってしまったけれど いつかもし再び会う事があるのなら謝りたいし ありがとうもたくさん伝えたい。 謝って私のした迷惑が帳消しになる訳ではないけれど。 私が鬱状態に、神経不安状態、今でいう社会不安障害のような 心が不安定になった状態を父親のせいにする訳ではない。 私が自分自身で向き合って乗り越えていかなければならない事だから。 生きていけるようにならなければいけない事だから。 自分を可哀相な人間にしたい訳でもない。 でもあの時期から父が他界してから私なりに苦しかったのは事実だ。 それでもその日食べるものに困るでもなく 何不自由なく母に守って、育ててもらって。 こうして日々暮らしていけている。 たくさん苦労した母を見てきたから 私の力で支えていきたいと思っても それが巧くいかない。 それどころか精神的にも生活面でも 未だに依存して苦労をかけてしまっている 自分が情けない。 100%とまでいかなくてももっと安定した きちんとした収入があれば、 そういう状態で働ければ・・・。 だから、だから母には幸せになってもらいたい。 その気持ちに嘘はない。 嘘は無い。だから母に付き合っている男性がいると聞いた時に よかったと正直に思った。 その気持ちにも嘘は無い。 けれど、心の片隅でショックを受けていた。 母にはもちろん絶対に話すつもりはない。 カケラも話してない。 色々な意味でショックを受けてしまっていたのだ。 私がまだ父親の事で自分を縛ってしまっているから、 母に甘えてしまっているから。 価値観がとても合う穏やかないい人だという。 さすがに年齢も年齢なので結婚だとかそういうところまではいかないけれど いいお友達が出来てよかったと思う。 その人と付き合っていて 父親との想い出が消える訳じゃない。 わかっていても心が割り切れない。 裏切ったとかそんな風にはかけらも思ってない。 本当によかったと思っているのに。 父が他界してからいい男性がいたら付き合えばという話はしてきても あまり自分から積極的にいく母ではないし 実際にそういった話がなかったのでこのまま 出来ないままでいくのかと思っていたから・・・。 私が母に依存しているから母を取られたような気持ちがある事も否定出来ない。 兄は私に最低限の繋がりしか感じていない。 いつまでもいつまでも父親に縛られ、依存している、 誰かに依存している私がいけない。 自分で生きていく力をつけなくてはいけない。 わかっていてもそう簡単に出来ない。 誰かにぎゅっと抱き締めてもらいたい。 泣き叫びたい。 自分で乗り越えなければいけないのはわかっているけれど 誰か助けて、と依存を求めている自分がいる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年02月23日 00時42分38秒
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