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"更に突っ込んだこと"が担当の専門医に会うため、St.G病院へ車を走らせた。
この専門医から、日時等の詳細は有能な秘書のMonicaと話すようにと言われたが、この秘書、人の話というものを最後まで聞くようにできておらず、こちらの話が終わる前に自分の言いたい事を次々に話し始める。会話においては適宜Jump-Inが必要なアングロサクソン文化圏であるとはいえ、こういう輩と実際に遭遇する事は多くない。 迷路のような大病院の敷地内を縫って走りようやく駐車場に到着した後、本館受付で行くべき場所を尋ねる。 「それは多分大学病院を突っ切って左にぐるりと回ったところにある呼吸器科の建物よ。」と言われ歩き始める。 5分程経ち、この説明に不安だったのと時間がおしていたのでMonicaに電話したが全く別の建物だった。大病院本館受付の仕事はこれでいいのか。俺も採用してくれ。 ようやく着いた受付は不在で、患者さんと思しきお爺さんがカウンターに呆然と立ちすくんでいるように見えた。このお爺さんに勝手が判っている素振りは見えず、"レセプション不在時はこのベルを鳴らせ"と書かれているのでそうすると、奥から中肉中背のアフリカ系女性がよたよたと出てきて自分を斜に見ながらぼそりと言う。 「ここに患者さんが待ってるの見てるくせに、あんたわざわざベル鳴らすってわけ。」 Monicaや先の受付やこの受付など、こういう断片から医療上の信頼関係に対する疑問がどよどよと湧き上がるのは言うまでもない。自分の体に手を加えられる前に、安心できるTeamの手に委ねられるかの証明が欲しいのは皆変わらないだろう。 X-ray写真群をスタッフに渡し、10分程待つと身の丈2m弱、60歳台位の背広姿の男性が手招きをする。顔の造作、頭や各パーツの膨らみ具合から察して巨大系アングロサクソン族?のDNAだ。80年代のMTVのVideoClipに良く登場したレーガン人形を思い出す。動脈硬化の治療入院中のUS人といっても通用しそうだ。 部屋に入り、暫くCT等の結果を眺めると、左肺の容量は40%を切っているので手術をすべきだとおっしゃる。 「どうって事ない。手術後3日入院して2週間も安静にしてればその後皆何でもやりたい放題だよ。私の日程は明日なら開いてるが、どうかね?」 こうまでケレン味なく微笑みながらあっさり言い切られると人の猜疑心は募る。どこまで信用できるのか(そしてこの男性ヒト型物体が悪い冗談で実はハリボテ細工でないか)確認のためのジャブを放つ。 「手術はこの病院で行うんでしょうか。」 「いや、ここも新築していい感じだけど、別の病院St.Aになる。」 「そこは肺機能の専門病院になるんですね。」 「うん、St.Aはこじんまりとしているけどなかなかラブリーなハイテク病院だよ。」 「機能していない肺の一部を切除すると理解しているのですが。」 「そう。体に数箇所穴を開け、内視鏡を通し、TVモニターを見ながら焼き切るんだ。」 「日本に戻って手術というOptionも考えてるんですが。」 「不安な気持ちはわかるが、St.A程の設備を備えた病院が日本にどれだけあるか自分には判らない。まあ内視鏡手術というのは日本でも一般的だとは思うがね。それに飛行機に乗ると今より悪化するよ。」 「発症してから飛行機には何度か乗ってるんですが顕著な差は無いですけどね。」 「Europe国内の移動なら高度も知れている。長距離なら気圧もよりシビアになる筈だよ。」 以前お世話になったご近所さんのドイツ人医師達の紹介を頼りに南ドイツで手術というOptionも懐にあったのだが、永遠のライバルによるNationalismの戦いに容易に進展する恐れを考慮し 敢えて持ち出さなかった。 ただ、日本の医療体制の最近の風評を報道等で知っているので、このS氏の見解も理解できる。むしろS氏のTeamをどこまで信用できるかの見極めが肝心なのだ。 ”手術”という行為は、執刀医の手先の器用さや仕上げの繊細さを含む美意識、そしてTeam全体にその意識が徹底されているかに肝があると自分は勝手に解釈している。これは工芸品や工業製品を生み出す精神にも通じ(とこれまた勝手に解釈している)、そういう点では自分の潜在意識の奥深い所で”Team手腕の確からしさ”World序列が既に堅固に出来上がってしまっている: ドイツ人>日本人、韓国人等北方アジア人>中国人>その他繊細な神経をもつ人種>アングロサクソン支配国に住む人種>論外 勿論、白でも赤でも人種国籍宗教を問わず優秀なTeamが優秀なのは自明の理なのだが偏見とは恐ろしいものだ。こんなことを書くと特にアングロサクソン族に集団訴訟されてしまいかねないが、余程のインパクトがない限り修正は難しい。 或るX-ray写真を見るため巨大な茶封筒から白黒フィルムを取り出すS氏。自分の全神経はこの瞬間、彼の指先の動きの優雅さとそのしなりと敏捷さの判定に注がれた。日付を頼りにゴソゴソとフィルムを引っ張りだし机に積むS氏。大きなRの円弧を描いた平積み写真群は予想通り端からバサバサと床に落ちそうだ。心なしか大きな手も震えている。この程度の器用さで縫合なんかしていいのか。たまらず追加のジャブが出る。 「手術は一人で行うのでしょうか。」 「数名のTeamで行うことになるね。」 「切られた肺は糸で縫合するんですよね。」 「糸なんかでやると時間が掛かるので出血はひどくなるし退院も長くなる。数mm長のホチキスのようなチタン合金製の針を複数個使用し閉じていくんだよ」 「それって人の造りしものですよね。チタンだから変質はしないのは判りますが、そんなのが体内に残って術後に機械的な問題が起きないものでしょうか。」 「糸だって人の造りしものだよ。この手法は非常に一般的なんだがねえ。」 結局、週末に再度日程を検討する事を落しどころに診察は終了した。 翌日、とにかく風邪を治すのが先決のため、近くの診療所で日本人医師の診察を受けると、自分のカルテから自動的にこのTopicが滑り出てきた。 「そうですねえ、悩まれる心境はお察ししますよ。UKにいる日本人の10人中8-9人は日本で手術すると言うでしょう。でも診療体制に不安なら実績等について出来る限りの質問をするといいんですよ。ここでは医者も訊かれるのに慣れてますので。同症例の年間の処置数、手術の成功率、等々。私の日本人の患者さんで喉のポリープ切除手術をUKで行う事に決めていた人がいますが、担当予定医がそのオペを年間5-6例しか扱ってないと知り、不安になって帰国手術に切り替えた方もいらっしゃいます。」 親切な方だ。でも安心材料として逆のパターンを引用してもらえないのだろうか。 「ただ、運が良いとも考えられますよ。UKは医療先進国ですが例えば発展途上国で同じ病気に罹れば、そこの医療技術で処置するしかないんですし。」 それは正しい。日本には戻れそうにないのだから。巨視的に見れば不幸中の幸いではある。 「ただ、自分なら絶対に日本で手術したいですよね。UKに比べると、やっぱり医療全般に対する考え方とかきめ細かさとかが全然違うんですよ。こちらに来てもう数年になりますが、日本の医療しか知らなかった身には毎日が驚きの連続です。」 結局この人は、暗にシャイニングヤクザキックでも要求しているのだろうか。 悲しいかな、選択というのはいつもその当人に悩ましく、他人に楽しいものなのだろう。 〔 To be continued / Fortsetzung folgt 〕 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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