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カテゴリ:das Thema
早朝のTerminal4は気分がいい。悪党Heathrowファミリーの一味にしては小奇麗だし、閑散とした雰囲気は人込みを嫌う頭を涼しくさせてくれる。距離との兼ね合いで朝食が慌しくサーブされる飛行機はLondonから海峡を越え、あっさりと対岸ベルギーの滑走路を踏んだ。
10年以上前に初めて目にしたBrussels空港は、特にその内装が昔映画やTVでみた共産主義国のデザインのように古ぼけた感じを呼び起こさせた。数年前の新築改装でいまやモダンかつ清潔に変貌したが、その垢抜けた姿が“欧州のヘソ”として各人の感傷にマッチするかは別だ。時間の問題ではあるが、もっと力なく汚れていた方がイメージにそぐう気がする。 切り口に応じ多様な色合いをみせるところがベルギーという国の独自性だといっても大外れではない。列強のせめぎあいにより後が無く追い詰められ、囲まれた浜辺から海に落とされる前に妥協の産物として創られたこの王国の生い立ちからしてそこが風合いのやや複雑な社会であることが想像できる。 空港内到着ロビーではいつものようにRelayの赤いKIOSKが目に付く。まるでラテンの犬が片足を上げて縄張りに匂いをつけた跡のようだ。一般的にドイツの都市では空港内にRelayを見かけないのは多分犬同士の見えない抗争によるのだろう。 北に向かう高速道路の左方に遠くアトミウムの球体が浮上し消えていく。左ハンドルのTAXIから眺める交通量のそう多くない3車線が大陸を実感させ、ほっと一息つく。夕方時間ができたらJDさんに連絡せねば。去年の夏に会社の近くで食事をしたきりになっている。あれからどうしただろう。 ベルギー人のJDさんには大昔在籍した日本の部署の仕事でお世話になった。その時のドイツ出張の際にはベルギーから随行してくれた。大柄な体躯に乗った端正な顔には少年のように甘い表情がある。お国柄を反映し、母語フラマン語およびその方言と揶揄される(=立場が変わればフラマンがダッチの方言になる)オランダ語の他に、フランス語、英語、ドイツ語が話せる。ベルギーでは通常の大学より修業が過酷とされるMilitaryの学校で然るべき地位を築いたという経歴で、頭脳明晰+文武両道。アメリカ人ならAll Belgian Boyと言いたくなるところで、ひそみに倣うには大きすぎる。 当時JDさんの所属していたUnitは発足して間もなく、そのメンバ達は落ちついた着こなしに野心を秘めたかのように有能で個性的だった。なかでもUnitのHeadを務める小柄なフランス人C氏はナポレオン然としたフレンチの容貌で なかなかの実力者らしく、JDさんがナイフのように切れる人ならばC氏はカミソリのそれだ と或る人がたとえてくれた。 学業面で激烈なふるいのかかるフランスにあって、エコール・ド・ポリテクニーク卒であればフレンチ社会の中枢にもぐり込み楽勝人生が歩めるという噂だが、祖国からは物笑いの種とされるベルギー王国で、しかも小さな外資のHead業なんて、かの地の教育ママンからみれば非常識の極みに違いない。 スケールから外れた人には珍しくないが変人的な面もあるらしく、敢えてそういう道を選んでしまうのが彼の真骨頂らしい。贅沢な人生もあるものだ。 ドイツから飛んできたという噂を聞きつけたからか、Officeのメンバ達からいたずらっぽい笑顔で幾つか入れ知恵をもらった。その一つにこんな陰口がある: 「解放記念日にはEurope中でドイツだけが祝日じゃないんだぜ。何でそうなってるかあいつらに聞いてみたら?」 フラマン語圏のBrusselsで話される分にはリスクが少ないにしても、(少数派ではあるが)ベルギー国内にドイツ語住民圏があるというのに こういう軽いジャブが出てもはばかられない。もっとも、Europeのどの国だって、地図の上に線で引かれた国境は言語圏と人々の記憶からなるそれの前には弱い意味しか持てないだろう。 総じて柔和なベルギー人達なのだが、地続きの迷惑な隣人達に依然複雑な感情を抱いているのは当然だ。JDさんとC氏との冗談交じりの会話の中にもそれは現れていた。 異邦人の週末観光に適した場所の話をしていたのかユーロスターのUK側駅名の話だったかは忘れたが、ワーテルローの名前が出たときの嬉しそうなベルギー人の青い瞳の向こうに、困惑した笑顔で「その話はもう止めようよ」と嘆願していたC氏の表情を思い出す。 ヨーロッパを総称し>EU<という書き方でMailを送ってくる日本の同僚達も多い。スイス人や旧東欧圏の国々には悪いが便宜上そう書きたい気持ちも判る。ただ、心理的な溝という意味でEuropeが如何に一つでないかを推し量るのは、興味がない限り日本にいては困難だろう。様々な国に立ち止まり見聞きし肌で経験したことが書物の情報を匂いと共に脳に刻み込むので仕方ないことではある。自分にしても、ここまで公然と隣人の短所を明るく声高に罵り合い続けているなんて光景は、現場にいなきゃわかる筈もなかった。 時間は移り、後日JDさんが日本に出張した時のこと。すき焼きと酒を囲む席で先の大戦の話が出た: 「責任転嫁じゃないですが、その頃の日本では秘密警察のような機関がニラミを利かせてたので、軍部に逆らう不穏な動きは察知され、ひどい目に遭わされたらしいんですよ。ドイツでも同じで、ナチスに抵抗したい市民がいてもできなかったのではないでしょうか。」 「ドイツは違う。ドイツでは市民が>率先して<ナチスと彼らのすることを支持したんだ。」 Europeでの常識を知らない日本人のすすめる生卵に当惑しながらも、不義理を感じそれを受け入れ食べ進める氏。彼ですらナチスを許容したドイツ人を受け入れ難い様子だった。そしてどんな時にも冷静で論理を崩さない彼にしてはやや感情のこもったトーンが印象に残った。 最後の大戦から60年が経ったとはいえ、それはまだヒトの平均年齢未満の時間枠でしかない。同じ種同士が連綿と血で血を洗ってきたおぞましい記憶は時間の希釈を許さず、特に強い意志をもって受け継がれるのだろう。 先の出張中、C氏から海鮮市場で有名なイロ・サクレ地区で生牡蠣などのDinnerをご馳走になった。事実上フランス料理圏であるので世に言う食のレベルは勿論高い。同じ海に面していながら悲惨な対岸の国のことを思うと哀れになる。夜の闇に灯る商店の照明、その中にあるNeuhausやGodiva等の菓子店には豊富なプラリネ(=チョコレート)のバリエーションが繊細に美しく浮かび上がり、駄目を押す。 C氏はワインを片手にかつて彼が新事業所か何かの造成記念式典に招かれた時の事をとても嬉しそうに語ってくれた。式典はドイツのとある場所で行われ、正装した面々の大半はドイツ人だったようだ。ご多分に漏れずホストとゲストは手に手にグラスを掲げ乾杯し合う。 「あのときのドイツ人の顔が忘れられないねぇ。」 「乾杯の時は”Prost”とか”Prosit”とかってやりますよね。」 「ううん、その時は”ホロコースト”って言ったんだ。相手のドイツ人が変な顔して凍り付いてたから、もう一度笑顔ではっきりと言ってあげたんだよ。”ホロコースト”ってさ。」 記憶は絶えずリフレッシュされることでその力を維持する。冗談好きが多いのが災いし嫌味陰口の類が飛び交うEuropeの毎日にあっては不幸な記憶を水に流す事はさぞや困難だろう。 奇矯なC氏をReferenceの一部に取り込むことは避けるべきかもしれないが、Europe人好みのプラリネの一つに悪意100%のビターチョコもある事をBrusselsの街角で思い知らされた。 明るく楽しそうな分には良し とするかなあ。 〔 To be continued / Fortsetzung folgt 〕 *** 補足 *** Neuhausから発売されているRene Magritte画付きプラリネアソート缶 やっと3缶集まった。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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