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カテゴリ:das Thema
緑に塗られた胴体に日本語で「無料」と書かれた電車のようなトロリーバスをホテルから100mほど出た停留所で待つ。気温は95Fといった所か、陽射しのわりにはそう暑くない。
近く遠く、周り一面に美しく列をなして植わった椰子の木々の向こう側には、人の気配がしないゴルフコースが並び、それらを裾野に侍らせた禿山が青空を背後に鎮座している。 時間にルーズな土地柄だと念を押されてはみたが、巡回バスは概ね定刻にやって来た。 ステップに足を掛け乗り込むと、70歳位の運転手さんから 日本人か と訊かれる。 「ワタシはサンセイ。でもまだニホンにいったことはないです。ニホンゴガッコウではまだイチネンセイ。」 イントネーションはともかく、淀みのない日本語は自分の英語もどきよりもはるかに美しい。 「日本語、お上手ですね。」と感心して言う。 間髪入れず、返される。 「ウソはゼンブわかるよ。」 目的の停留所から徒歩で5分のところにあるBlackRockという岩場のそばの砂浜では、残念なことに、宿泊中のホテルのそれと同じくらい波が強かった。つまり、競泳用ゴーグルで覗く海中は 波のお陰で砂が渦巻き、魚影は全く見られないというわけだ。 地中海やアフリカの北西とはえらい違いだ。日本の南方と比べても、沖縄の久米島では熱帯魚が浅瀬をうようよしていた。 海亀がくる岩場だとはいうが、そう簡単に姿を見せないだろう。見知らぬヒトに接触して、良いことのあるわけがない。 リゾートホテルが並ぶ浜辺から見晴らす海のむこうには二つの巨大な島が山頂に雲をたなびかせ浮かんでいる。 水平線に同化した雲のまとまりの中に夕陽が落ち、島の上空で糸のような三日月が輝きはじめる頃、紫色に霞むふたつの島影は神秘的な力でこちらを圧する。 夜が訪れると、地平線に近づいた北極星を廻る星座がくっきりと現れ、頭上を薄雲のような天の川が蛇行する。 椰子の実とパイナップル。サトウキビと極楽鳥。 精霊を祀る木の柱と木彫りの人形。 花をまとい踊る女性たちと勇猛な戦士達。 隣島の王からの挑戦。カヌーと海亀。 様々な想像が観光客の期待を膨らますが、それらはすでに大過去でしかない。 島々を支配した原住民達は、偉大なる王の軍隊をもってしても敵わぬ国の属州となり、その文明にさらされた。太平洋に咲く楽園の噂は世界の人々を惹き付け、住民達は文明の庇護の下に暮らせる術を得た。 移り変わる人間達の営みのそばにある、変わらぬ海と大地と空。 Maui島からHonolulu空港で乗換え、日本ヘ向う飛行機はミッドウエー諸島上空を通過する。20分前の機長の予告がタイミングを逃したのかもしれないが、わざわざそのために緊急脱出用小窓付近に佇んでいるのは自分だけのようだ。 雲と深い青しかない景色の中、じっと待つと、窓枠の周縁から薄青く丸い、透明な平板のようなものが洋上ににじり出てくる。その全体をみれば、太陽の直射を受けた小さな小さな島を囲む広い浅瀬が、青い海の上に薄緑がかった円弧のコントラストをつけているのだと判る。 子供の頃、庭先に置いた天体望遠鏡の接眼鏡の視界に初めて入った月の表面を見た時の恐怖に似た驚き。それを思い出させる自然の姿を、青い空から覗き込み、暫く息を呑む。 人知の及ぶ果てに隠された神のデザインに突如肉薄するとき、人間は本能的に硬直するのか。大海原のなかに浮かぶ薄青い鉱石のかけらのような巨大な物体、いや、海から顔を覗かせそうな地球の表面がそこにある。 太平洋の孤島と呼ぶにまったくもって相応しいこの大海原の只中で、同じように息を呑むことの出来た大日本帝国海軍の飛行士達は 何人いたのだろう。 双方合わせて3000を越す人命が絶たれ、何十万tもの鉄塊が海底に没し、青空に散華した鉄片が波間に消えた。それらが形作っていた機械の群れは蒼い海面に醜悪な重油のシミを撒き散らしたのだろうが、漂流する怨恨の痕跡はもはや何もない。代わりに、死を賭した過去の狂騒の舞台から遥か上空を飛行する文明の中で、お茶を片手に穏やかに語らう人々の姿がここにある。 昔話は忘れ去られ、誕生から死への道行を繰り返しながら、人もまた変わリ続ける。 わずか半世紀前の出来事を昔話にするのはなんとも気が早いと感じる半面、忘却することが人のもつ性質であるからには止むを得ない。 ただ、そのさだめをどう受け止めるかは、人々の意識次第と言えるだろう。 数多の犠牲者の上に築かれた、物質的には豊か過ぎる生活を 仏前に祈りながら噛みしめる世代と、人から賜った豊穣をそのままに受け入れていいのか 少しは悩む世代。 その後にくる世代にこの迷いが受け継がれるような仕組みが今の日本国で機能していると思えない。 そんなものは、日々薄味を増していく便利第一の快適社会にとって 盲腸のようなものでしかないのだろう。 共に敗れ、解体された第三帝国で、穢れを胸に深く刻み やり直した人々の多くは そこまで軽薄ではなく、彼らに固有の迷いは傍目にmasochisticに映るほど受け継がれている。これも彼我の品位の差が露呈される一面かと思うと、やり切れない。 虎が死して皮を残しても、その皮とていつの日にかは大地に還る。 それが何であったのか、今を生きる人々の目には形をとどめなくなった、その後に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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