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カテゴリ:ちと硬派
2日ぶりにベッドの上で目覚める。アジスアベバは標高2500メートルの高地なので、お酒とか控えた方がよいですよ、というアドバイスを何人かの方からいただいたが、なんのなんの、大変快適な目覚めでございました。
今日から晴れて通常業務開始。私のいる国際機関が進めているプロジェクトの現状を視察したり、会議やったりと慌しく動き回る。 エチオピアは統計で見ると所得水準が著しく低いのだが、首都アジスアベバに限ってみれば、道路その他のインフラは案外整っているし、クルマは新しいのと古いのが1:2くらい。幹線道路沿いはこんな感じです。 スタバそっくりのカフェもあるし、渋滞もする。まあ首都のど真ん中ですから、国全体の実情とはかけ離れた状態なのだろう。 視察に際して私が肝に銘じているのは、少し見ただけで全部を知った気にならないこと。私は「全く見ない・知らないよりは少しでも知っていた方がよい」とは必ずしも思わない。なまじ中途半端に見聞きして全体を知った気になる方が、全く見知らぬ状態よりかえって有害だと思う。その初心は忘れずに行こうと改めて心に刻む。 そのような「ここを見ただけでエチオピア全体を知ったと思うな」状態のアジスアベバだが、やはり物乞いは多い。手足を失った人も多く見かける。地雷の被害者であると教えてもらった。 あるプロジェクトを見た。女性に工芸品作成、食品加工等のスキルを伝授して収入源を確保することを目指した所得創出プロジェクト。 目的と使命を与えられ、貧困の絶望から抜け出す光を見出した女性たちの表情や瞳は明るい。 そして私の目に飛び込んできたのは、そうしたトレーニングを受けているお母さんたちが連れてきて、その場でデイケアを受けている数十人の子供たち。我が子と同じくらいの年の子供たちが無邪気に歌い、遊ぶ姿は理屈ぬきに心に迫るものがある。 ただ、このように国家レベルで推進しているプロジェクトの受益者として選ばれたお母さん(や子供)というのは、国全体で見ると極めて幸運かつ一握りの人なのだろうなあ、という思いもよぎる。 その国の最も深刻・絶望的な貧困というものを自分は知っているだろうか。先進国からふらっと数日間やってきた日本人なぞにそうした「極限状態」を見せるということはまずないだろう。しかし本当に援助が必要なのはそういう人だったりする。そこには援助する側の大きなジレンマがある。 このテーマは深いので、ここで書ききることはできませぬ。ただ「一を聞いて十を知った気にならない」こと、そして「同情や憐憫の情のみに突き動かされるべきでないこと」は援助に限らず仕事一般の基本であろうと思うわけであります。 ちなみに、この国は古くからの歴史と伝統を持ち、また植民地化された経験もないため、確固たる文化・文明が確立されている。”Ethiopian Authodoxy(エチオピア正教と約すのか?)”たる流派の教会とかも見かけるし、地方毎に異なる独特の踊りがあり、訪問するとそれを披露して歓迎してくれるそうだ。食文化も独特だが素晴らしい。ご当地料理やご当地ビール、ハチミツ酒、コーヒーいずれも大変美味しゅうございました。 さて明日はまた別の国に移動する。今度は予定通り着陸できるだろうか。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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