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カテゴリ:ちと硬派
暑い。初夏の日差しの中、我が家の庭も緑萌えまくってます。
さて、おとといの日記で、アメリカ・インディアン博物館で私が感じたメッセージ性について書いたら、何人かの方から、「淡々と歴史と事実を伝える」ないし「政治的メッセージを前面に出す」といった博物館のあり方について興味深いご指摘を頂きました。 そう思ってみると、ワシントンでも、はたまた日本でも、博物館のコンセプトはいろいろですよね。つらつらと思い返してみました。 私がワシントンの博物館の中で一番、「淡々と歴史と事実を伝える」ことで凄味を出しているなあ、と思うのは、ホロコースト博物館。ナチスによるユダヤ人強制収容・虐殺の歴史を、収容者たちの靴や服、髪の毛等の実物を展示したり、ガス室を再現したり、虐殺映像そのものを淡々と流したり、といった形で示してます。人間の極限の狂気を感じて身震いしてしまいます。これは凄かった。 だけど、今ここのHPを見てみると、イランに対して博物館として非難声明を出してみたり、何やら随分政治的色彩を帯びてきてる感がありますね。私がこの博物館の展示を見て身震いしたのはもうかれこれ5~6年前なんですが、それから変化したのかな。 アメリカ・インディアンやユダヤ人と並んで、アメリカにおいて一定の政治力を持つ集団と言えばアフリカ系アメリカ人ですが、ワシントンの博物館では何かメッセージを帯びているかな。アフリカ美術博物館というのがありますが、これはマイノリティの歴史云々ではなく、アフリカンアートそのものの展示。政治的メッセージは全く感じられなかったなあ。 日本においても博物館は多種多様ですよね。強烈なメッセージを発している博物館の筆頭はやはり靖国神社の遊就館でしょう。特攻隊員の青年が出撃前に母親に書いた手紙等が展示されていて心を打ちますが、その独特な空間ゆえに、見る人が見たら「戦争を過度に美化している」と引いてしまうかもしれません。 他方で、私が「淡々とした凄味」を感じた日本の博物館の一つは沖縄にあります。本島南部にある「旧海軍司令部壕跡」という巨大な防空壕なのですが、先の大戦で唯一の地上戦となったこの地の悲惨さがまさに淡々と展示されてます。壕内で手榴弾で自決した際の破片が未だに無数に壁に刻み込まれている部屋とか、大本営に宛てた太田司令官の「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」という有名な打電とか。 特に戦争の惨禍が色濃く残る沖縄には、強いメッセージ性を帯びたものから淡々としたものまで多様な史跡がありますので、とても興味深いです。 さてまた戻ってワシントン。スミソニアンにはもう一つ、メッセージ性を帯びた展示があってもおかしくない博物館があるのですよ。それはアメリカ歴史博物館。我がオフィスから徒歩圏にあるんですが、アメリカの戦争の歴史とか、人種差別の歴史とか、そういうの展示してるのかなあ、と思い訪ねてみました。そしたらこれが凄かった!つづく(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月07日 01時59分13秒
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