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2008.01.09
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カテゴリ:その他

敬作が改まって言う頼みとは何か?蔵六は皆目検討が
つかないが、嫌な予感だけした。こういう妙な感のよ
さを持っている男である。尊公はシーボルトどのを知
っているな、と敬作は切り出した。もちろん蔵六は
シーボルトを知っている。この時代の日本において蘭
学を専門として学んでいればシーボルトを知らない者
はいない。敬作は、続ける。シーボルトどのには、ご
息女がいる。シーボルト・イネという娘だ。蔵六は敬
作に言われるまでもなくシーボルト・イネの事は知っ
ていた。知っていたという会った事がある。実は蔵六
は岡山でイネに会って以来イネの事が頭から離れない。
「気の迷いだ」と蔵六は自分で思い込み忘れる事にして
いた。このあたり蔵六は10代の書生じみた純情さであ
る。すでに三十歳を超えているが女性を知らないとい
うのも、この石頭を作り出している一因であるだろう。

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「イネを尊公に預けたいのだ」敬作は言った。長崎に帰
っていたイネがもう一度蘭学を勉強するために、この
宇和島藩に来るという事だった。敬作はシーボルトに
頼まれて幼少期のイネを育てたのだが今回は自分で面
倒を見る事は出来ないと考えていた。敬作は酒乱の気
があり酔うと見境無く暴力をふるってしまう所があり
最近は年齢のせいか特にその気が強く自分が酔ってイ
ネに万が一にも暴力をふるう事があれば恩師である
シーボルトに顔が立たない。という事であった。敬作
は「その点、蔵六どの尊公であればその様な事はない
し、年頃の女人にも節度を守れる人格でもある」と理
由をつげた。確かに蔵六には酒乱という欠点はなかっ
たし節度を守るという長所もあった。しかしこの時、
蔵六の心臓は坂道を駆け上がった直後のように激しく
脈打っていた。預かるという事は、ひとつ屋根の下で
イネと生活するという事に他ならない。

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シーボルト・イネの宇和島行きの真相は蔵六の元で蘭
学を学びたかったからであった。イネは岡山で蔵六に
初めて会った。蔵六を知った瞬間にイネは蔵六に対し
て崇拝に近い気持ちを抱いていた。理由はイネの生い
立ちに求めると理解しやすい。イネは父シーボルトの
顔を知らない。知っている事は父は蘭学の権威でたく
さんの優秀な弟子がいて、弟子たちが蘭学者である
シーボルトを非常に尊敬しているという事であった。
弟子たちはイネに高等な蘭学教育をおこなった。イネ
も蘭学を学んでいるときには唯一父シーボルトを感じ
られた。この幼少期の経験によりイネにとっては蘭学
は父を具現化したものとなっていた。そこへ蔵六が登
場する。イネは何の無駄もなく合理の徒となり蘭学に
没入する蔵六に父を感じたのかもしれない。結果この
蔵六という純粋に蘭学を求道する奇妙な顔をした男に
思慕と尊崇の念をいだくようになっていた。

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イネが宇和島に来たのは敬作が蔵六に頼みこんでから
数日後の事だった。敬作につれられてイネは蔵六の屋
敷に訪ねて来た。蔵六は一言も発しない。「蔵六先生、
お久しぶりでございます」とイネが形式的な挨拶をし
た。蔵六はイネに一室を与えた。敬作の依頼でイネに
は毎日2時間蘭学の講義をする事になっていた。昼間
は黒船作りで忙しい蔵六は毎晩ろうそくの灯りを便り
にイネに講義をする事になった。

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黒舟を作る。この造船史の異例に挑戦することになっ
た蔵六は家老の松根の紹介で人と会う事になっていた。
寡蔵という町人であった。松根は蔵六一人で黒船を作
らせるのは難しいと考え蒸気機関を作れそうな人間を
探していた。しかしそんな人間が都合よく城下町に居
るはずも無く松根はとにかく器用な人間を探した。そ
こで白羽の矢が立ったのが何でも屋の寡蔵という町人
であった。寡蔵は生まれつきの手先の器用さを使いど
んな物でも修理した。鎧兜や仏壇。この42歳の男は素
朴で質素で器用だが世渡りべたで常に貧乏だった。寡
蔵と会った蔵六は宇和島に来て以来最も大きな感動を
した。寡蔵は蒸気機関の話を聞き試作品を作っていた。
細長い箱に車輪が4輪ついていて内部には大小の歯車
が18個使われている。心棒が一本だけ飛び出ていて
これを回すと車輪が3回転するという仕組みだった。
蔵六は、柄にも無く顔を真っ赤にして言った。「寡蔵
どの、あなたはもっと評価されるべきだ。でなければ
日本は欧米に追いつけない」蔵六の論理では、技術の
ある人間が評価されなければ文明は進歩しないという
事であった。

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船が出来た。蔵六が作った船体に寡蔵が作った蒸気機
関を乗せ船が完成した。「まず8割方動けば良い」蔵六
は、そう考えていた。寡蔵は不安がぬぐいきれない、
自分の作った蒸気機関の馬力が船の大きさに比べて明
らかに小さいのだ。今日は宇和島藩主の宗城様も乗船
なさる。失敗してしまうのではないか、、、。寡蔵は
繊細な手先を持っていて緻密な作業に向いていたが心
もそのように出来ている。表面上、動揺なく見える蔵
六も寡蔵の心配が伝染したのか心中おだやかでは無く
なっていたが、「ともかくやってみるしかあるまい」と
試運転を開始した。

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今日の試運転では石炭の変わりに薪を使った。蒸気圧
計が気圧が上がっている事を示し始める。少しづつ船
が動き始めた。宗城は甲板で興奮して「蔵六、動いた
ではないか」と叫んだ。「動くのは当たり前です」と蔵
六は言った。これには宗城もさすがにムッとしたが蒸
気船を動かしたという感動が先にたち咎めなかった。
蔵六に言わせれば動くのが当たり前というレベルまで
持っていくのが技術であり科学であると言いたかった
のである。

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「3年前、黒船が来て日本中が驚愕した。しかし3年後
のこの宇和島藩で蒸気機関の船が動いている。これが
アジアにおける初めての蒸気船である。」宗城は3年前
の黒船来航以来、思いつづけていた目標を達成した感
慨にふけっていた。この蒸気船作りは、莫大な金が掛
かった。宇和島藩では蒸気船開発に関して「お潰し方」
と陰口をする者も多かった。この金食い虫の計画は、
宇和島藩を潰してしまうという意味だ。

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何故、宗城はそこまでの反対を押し切って蒸気船作り
を断行したのか。宗城はこのような内容の言葉を口に
している。「欧州が今日の様に栄えたのは産業革命が
あったからである。その象徴的な成果が蒸気船である。
しかし幕府は鈍い。宇和島藩がまず蒸気船を完成する
事により刺激を与えるのだ。日本が滅びて宇和島藩だ
けが生き残る事などはありえないのだ。例え宇和島藩
がなくなろうともやるべきだ」船は動いた。動力の大
きさに問題があったが、それは単に動力を大きく作れ
ば良い。「黒船作り」は成功といえた。

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この間、蔵六の人生は他者に翻弄されている。敬作の
無理な頼みによりシーボルト・イネを同じ屋根の下に
住まわせている。蔵六はあくまで己を教師という立場
に封じそれ以上に出ようとはしない。蔵六を好いて宇
和島まで来たイネとしてはたまらないが、その関係を
打開するきっかけを作れないでいた。決まった時間に
蔵六はイネの部屋に来て蘭学の講義を2時間行う。敬
作の依頼により毎日きっかり2時間は教えた。しかし
イネはそれだけでは物足らず蔵六の部屋に度々訪れて
は「蔵六先生、分からない部分があるのですが、、、」
などと言って困らせていた。

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この時期、蔵六は多忙であった。黒船作りをやりなが
ら軍事関係の書物の翻訳もやり。更にイネの相手もし
ていたのである。この男の人生は何故か他者から必要
とされ多忙の内に過ぎていくという性質を持ち、なか
なか自分の意志で進むべき道を決められない定めであ
った。蔵六は、不思議な気持ちでいた。「蘭学」という
技術によりただの村医者であった自分が宇和島藩の殿
様に必要とされる人間となっている。敬作という最近
の飲み友達も蘭学者で結局の所蘭学がつなげた仲であ
る。そして、、これは蔵六にとってめんどうな事だが
住み込みの生徒であるシーボルト・イネも蘭学が引き
付けたものだった。蔵六は自分を蘭学という技術を持
った一個の機械と感じていた。

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この頃の蔵六の運命は豪雨が堤防を破るかのように加
速していく。江戸に行く事になる。宇和島藩主宗城が
江戸へ参勤交代に行く、そこに蔵六も同行するように
という、という話が上がった。「これを機に宇和島藩
は辞去しよう」蔵六はそう考えていた。蔵六が宇和島
藩で行っていた仕事は、黒船作りと砲台作り、あとは
兵書の翻訳である。黒船と砲台はすでに完成した。あ
とは兵書の翻訳であるが、これは江戸でも出来る。翻
訳は江戸にておこない、宇和島藩にはもう戻るまいと
考えていた。幸い江戸には蘭書も数多くある。江戸で
兵書の翻訳塾を開きそれで生活をしようと考えていた。
この宇和島藩での日々により蔵六は兵書の翻訳ではこ
の時点で日本国内の第一人者であったし更には日本国
内にはほとんど兵書の翻訳が出来る人間はいなかった。

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蔵六が宇和島藩を辞去したい一番大きな理由は別の場
所にあった。イネの事である。蔵六にとっては、イネ
の存在は重かった。蔵六は敬作の依頼どおりに途切れ
る事なく毎日2時間イネに蘭学の講義をおこなってい
る。しかし、その事によりイネの蔵六への思いはより
大きくなった。受け入れられない蔵六としては、その
思いから逃げ出したい衝動があった。蔵六にしてみれ
ば、イネの思いは受け入れられない、敬作から信頼さ
れて預かったのだ。それを裏切る事は出来ない。蔵六
は「単純に生きる」という人生哲学を持っている。敬作
の信頼を裏切りイネと結ばれる事は、この自らの哲学
に反する事になる。それは蔵六には出来なかった。

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その反面、蔵六は一目会った時からイネに惹かれてい
た。父がドイツ人であるこの婦人は異人の面影を持っ
ていて、蔵六の目には天女の様に写っていた。イネと
同様、毎日の講義の中で蔵六もイネに対するその思い
がより大きく育っていたのである。実はイネの養父と
もいえる敬作は、蔵六とイネが結ばれるのを望んでい
た感がある。「尊公なら安心して預けられる」と蔵六に
言った言葉は方便の気がある。しかし阿呆がつくほど
に不器用な性格の蔵六は、言葉のとおりに受け入れて
いた。この場合、蔵六は自らの情念に素直になった方
が余程「単純に生きる」事が出来たとは知らなかった。

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江戸へ行く事を決めた蔵六は敬作にその旨を告げた。
敬作は、この愛想の無い男が余程気に入っていたらし
く涙を浮かべながら「尊公は江戸へ、行くべきだ。」あ
なたは天下の宝だ、という意味の事を言い涙をこらえ
る為に上を向いて黙った。蔵六にしてみれば立身出世
のために江戸に行くわけでもないので説明をしたかっ
たが、珍しく感傷的になっていて言葉を用意できなか
った。

敬作は最後に言った。「イネを江戸に連れて行ってく
れ。」

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最終更新日  2008.01.09 11:25:53
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