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2008.01.09
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カテゴリ:その他


敬作は最後に「イネを江戸に連れて行ってくれ。」自分
の寿命はいつ尽きるかも知れず蔵六に頼るしかないの
だと言う。

蔵六は断ることは出来ず、黙って頷くしかなかった。
しかし旅に婦人は同行できないとだけ何とか言えた。
それは分かっている。イネには落ち着いた頃に後から
追わせる。と敬作は言った。


こうして敬作に別れを告げた。次はこの事をイネに伝
えねばならない。

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江戸に旅立つ事をイネに伝えねばならない。

蔵六は、イネの部屋を訪ねた。イネ殿、私は江戸へ旅
立つと一息に告げた。そして勢いをつけて参勤交代に
同行する事になり、そのためだと告げた。

イネは呆然としていた。

蔵六との生活が永遠に続くような気がしていた。だか
らこそ焦りもせず、この不安定な関係を楽しんでいら
れた。それが、この関係が、この様に一方的に無くな
ってしまうなど受け入れようがない。イネはそう思っ
た。

「蔵六先生」イネは言った。

---------------------------

私も付いていきます。

イネにそう言われた蔵六は目も合わせずに「あとは敬
作どのに任せてある。失礼する」と慌てて部屋を出て
逃げるようにいなくなった。イネは呆然として追いか
ける事も出来ず「敬作どのに任せてある」という返答を
思い返すと、なんて無責任な人なんだろう、という気
持ちがふつふつと湧いてきて腹が立って仕方が無かっ
た。

この夜、敬作がイネのもとへ訪ねて来た。

---------------------------

敬作が言う、蔵六どのについて江戸に行け、学問とい
う物はどれだけの人物に師事したかで結果が決まる。
イネ、そなたは蔵六どのについて行くのだ。あの人物
は天下でも稀に見る才能である。決して放してはいけ
ない。

蔵六先生は私が付いて行くのはお許しくださるのです
か?とイネは敬作に聞いた。私から蔵六どのにはお願
いしてある。大丈夫だ。と敬作は言った。

この時の敬作の心境は、おそらく娘を嫁に出す父親の
ようなものだろう。この感情家の男は、涙をこらえて
イネにたいして最後に言うのである。「私はそなたが
蔵六どのと出来れば結ばれて欲しいと思っている。」


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「イネを貰ってくれ」

敬作のこのあたりの気持ちを蔵六は阿呆のつくほどの
鈍感さで気が付かない。

イネの養父である敬作は蔵六が現れなければイネをい
つまでも手元に置いておきたかったに違いない。この
愛情が深すぎる蘭学者は恩師の娘を自分の娘以上に溺
愛し育ててきた。しかし蔵六が現れた。敬作にとって
は尊敬してやまない蘭学者であり人格的にも優れてい
ると思っていた。そしてイネもどうやら惹かれている
ようである。したがって敬作は娘を嫁に出す決心をし
たのであった。

さて敬作が高く評価する蔵六の人格とはどういう物な
のか触れてみたい。


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さて敬作が高く評価する蔵六の人格とはどういう物な
のか触れてみたい。

蔵六。
この人物の特徴として非常に禁欲的だったという事が
言える。この時代の日本には禁欲的な思想は少なかっ
た。が、蘭学的な思想では禁欲を賛美する匂いがある。
その影響なのか蔵六は非常に禁欲的で、金銭にも興味
を示さなければ、出世して名声を欲するという事もな
く権勢欲もない。分かりやすい欲求をおよそ持たない
人格であった。では蔵六は何を求めて生きているのか
という事になる。

彼は出来る限り単純明快に生きる事に快感を得る種の
人間のようである。蘭学者は蘭学をする。医者は患者
を治す。農民は農業をする。などのように至極単純に
したいという欲求がある。これを言葉にするなら主題
主義者とでも言えば良いのか。

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人間関係までも含めて物事を単純に捉えようとする。
この習性を、蔵六が蘭学に長けた原因とする事も出来
る。

蔵六はこう考えている。科学や技術を何か複雑に考え
る人間がいるが、その種の人間には科学や技術は修め
られない。真理は常に単純な法則の塊である。

確かに蔵六は蘭学者として、この時代の一流まで昇っ
た。

しかし蔵六の間違いはこの真理が人間関係でも絶対だ
と信じていた事である。この間違いが今の蔵六を苦し
めてもいるし、未来の蔵六の運命さえも決めていくの
だが当然蔵六はこの当時、知る由も無い。

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以前触れた事があるが、暑い夏の日に村人同士の他愛
もない挨拶として、「今日は暑いですね」などと言う事
がある。蔵六は夏は暑いものです。などと愛想もなく
答えてしまうのだが、そこにこの人物の内面が現れて
いるかもしれない。

蔵六に言わせれば夏は暑いのである。それも今年の暑
さも例年通りで、わざわざ確認する意味もないだろう
という事である。

この一事を取ってみても蔵六は人間関係をも数式で割
り切れると思っているようにみえる。

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蔵六は、江戸へ旅立った。

江戸についた蔵六は、宇和島藩主宗城に塾を開く許可
を得た。宗城は開明派の藩主で、宇和島藩の安泰のみ
を考えるという気宇の小さな人物ではなく日本全国の
安寧を常に考えるという、殿様には珍しい人物だった。
そのため蔵六の才能を独占しようという気持ちが無く
気持ちよく許可をだした。

少し宗城の話をすると、この後蔵六が幕府に認められ
幕府付きになる。その時も宗城は気持ちよく送り出し
更に今まで通り蔵六には給料を払い続ける事にしてい
る。蔵六の才は、天下の才でありこれを援助したいと
いう気持ちの現れであった。

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現在の東京都の千代田区麹町。ここで蔵六は鳩居堂と
いう蘭学塾を開いた。現在では英国大使館のあたりで
ある。この当時江戸では蘭学がにわかに流行しつつあ
ったが蘭学者が足りていなかった。教える人間がいな
かったのである。

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鳩居堂には、伊藤という塾生がいた。伊藤は丹後田辺
藩から派遣された。藩命で伊藤は砲台と大砲を作らな
ければならない。その作り方を教えてくれと蔵六に言
うのである。この時期、幕府の命令により沿岸の藩に
砲台と大砲を作って諸外国の脅威に備えろという命令
が出ていた。田辺藩はそのため、この伊藤という若者
を江戸に派遣していた。

しかし蔵六は「1年や2年でそのような技術は学べる
ものではありません」という。

田辺は、それでは私は打ち首になってしまいます。と
悲鳴に似た声で蔵六にすがりついた。

砲台は作れないが打ち首にならない方法ならあります
と蔵六は言った。

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以前にもふれたが、品川には徳川幕府が作った台場と
砲台跡がある。この品川台場は江川太郎左衛門という
幕府の学者が作ったものであり、幕府が各藩への模範
にすべしとして通達している。
しかしこの台場は蔵六に言わせれば、「全く無駄なも
のです。役に立ちません」という事だった。
諸外国の艦隊に対する防衛が目的である、この台場が
なぜまったく役にたたないのか?

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諸外国の艦隊に対する防衛が目的である、この台場が
なぜまったく役にたたないのか?蔵六が言うにはこう
である。

砲台の砲が小さすぎる。これでは台場すれすれまで敵
艦に近づいてもらわなければ砲撃できない。更に艦砲
の射程は年々伸びている。

この台場砲台は戦術的には役に立つのかもしれないが
戦略的に言えば場所も砲台の大きさも役に立たないの
である。と蔵六は伊藤に言った。所詮、役に立たない
のだ。

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戦略と戦術を分けて考えるという事を蔵六はこの時点
で思考法として持っていた。この戦略と戦術が分類さ
れるのは明治30年ごろまで日本では確立されず幕末
のこの時点では蔵六以外には、この域にいたっている
物はいなかった。

蔵六は宇和島藩での兵書の翻訳、黒船の建造、砲台の
作成を通じて同時代の日本では類を見ない軍事上の知
識を手に入れていた。

しかし、品川台場が役立たずであろうとも伊藤には関
係が無い。私は打ち首になってしまいます。という事
実は変わらない。

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蔵六は、言っている意味がわからないのか?とでも言
いたそうに伊藤を見据えながら説明をはじめた。

所詮は急ごしらえの台場では役に立たないのである。
数年もすればその事に幕府も気が付く。その頃には幕
府も組織が変革し台場を作れという命令自体、残って
いるかも怪しい。伊藤どの、そなたは竹と縄で台場を
作れば良い。のんびりと数年かけて作業していれば情
勢も変わるだろう。

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この時の伊藤は蔵六を神か仏かと感じた。蔵六は、所
詮この方法はペテンである。伊藤どの、明日からそな
たには砲台と台場の作り方を教えよう。と最後に言っ
た。

この時の蔵六の時勢を見る眼は恐ろしく正確であった。
事実この数年後幕府は瓦解し田辺藩の台場建設はうや
むやになってしまったのである。

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蔵六に役立たずと断ぜられた品川台場についてもう少
し触れたい。この品川台場は、たしかに戦略的には役
に立たないものであった。が、ペリー艦隊に対しては
2度目の来航の際に1年前には無かった台場が突如出
現しているという事で、大きな衝撃を与えた。これに
よりペリーは、日本の底力を感じ他の植民地と同じ様
にはいかないだろうと思った。この事がペリーの対日
本戦略には少なからず影響を及ぼしたようだ。

戦略的には意味の無かった品川台場だったが政略的に
は意味があったと考える事ができる。

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この当時、蘭学の世界は狭い。鳩居堂で生徒に指導し
ている間に蔵六の蘭学の腕は江戸のその手の筋では相
当有名になっていた。オランダ語の翻訳で言えば鳩居
堂の先生が一番かもしれない。そんな噂だった。この
時期江戸で有名な蘭学者といえば佐久間象山がいたが
象山の場合は、オランダ語の理解力は蔵六に比べるべ
くもなく、たいしたことはない。象山の場合は生来の
聡明さで内容を察する。これは人に教えられるもので
はなく、教えるとしても象山と同じ類の天才に対して
のみ有効であった。この点蔵六は違っている。これは
適塾でしっかりと学問として学んだという事が大きく
影響しているのであろう。そこに独学の象山との違い
がある。

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最終更新日  2008.01.09 11:26:20
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