セントウタイセイ
スーパーで売る花は そんなに手を加えなくていい、凝らなくていい、大事なのは値段だ、値段さえ安ければお客さんの支持を得られる、いちばん大事なのはいかに安いかなんだ、品質うんぬんの話じゃないんだ、って。この価格帯で出せるのか?出せるならいい、その価格で年間目標を現状超えられるならいい、って。 そんなスーパーでお客さんは花を買いたいだろうか、って思いながら聞いてたのね。うちが卸してる羽村店は現状のやり方で貫くんだけど、ちょっと小耳にはさんだ話。 まぁスーパーで買う場合、「安いから」「ついでだから」っていうのがほとんどだしお仏壇に使う場合がほとんどだから、そんな感じになっちゃうのかもしれないけど。「安けりゃいい」っていう感覚は、ちょっと私にはわからないなぁ。だから「安いから支持を得られる」っていう発想も理解できないなぁ。消費者もナメられたもんだね。 「花なんてバケツに入れて並べときゃいいんだ」って言ったかつての店長の意に反するように、羽村店ではかわいくラッピングしたミニブーケ風の花が売れる。菊とかのセットがそりゃあいちばん売れるけど、ちょっと単価の張るユリとかトルコキキョウなんか、モノ日でもよく売れる。春の不動の人気はフリージアやスイートピーだしね。それもちょっとかわいくラッピングペーパー使ったやつ。昨日までは「お雛様セット」として出してたピンクの英字柄のペーパーに包んだモノがよく売れたし。決してスーパー側が望むような単価ではなかったけれど、ほぼ完売。ひな祭りアレンジもうちの店舗と同じ値段で持っていったけど、全部売れたじゃん。それでも「もっと安く、更に安く」を望むスーパーって、一体お客さんのどこを見て、何が支持されると思ってるんだか。安売りこそがお客さんに支持されるっていう発想、ちょっと怖くない?もちろんお客さんにとっては、安いにこしたことはないんだと思う、それはもちろんわかる、私だってお店の外に出れば一消費者だから。だけどすべては「値段なり」だよね、「お値段以上」はなかなかないよね。安売り神話にとらわれて傾いていく人々が、ちょっと、恐く感じた今日この頃。破滅への第一歩。値段だけで勝負するならいくらだってできるんだろうし、それはいちばんカンタン。でも壊れるのもカンタン。商売やってれば誰だって、周りとの価格競争に飲み込まれながらも、なんとかその濁流に流されないように必死で戦ってるはず。そしてお金は お金が大好きな人のところへ集って、更に大きな力となって化け物化してく。私みたいにお金に無頓着な人間のところへは、なかなかお金はやってこないのも世の常で。だけどどうしても「お金」というものに、あまり執着がもてないんだよね。もちろん大事だし必要ではあるんだけど。えげつないまでの執着には嫌悪感を感じてしまう。だけどえげつない人たちから攻撃を受けて、守りに徹するだけではどうしたって勝てるわけないし、やられてしまうんだなって。 だから、戦うことにしました。戦ってみることしました。 本当は、戦わないでいようかなって思ったりもしたんだけど戦ってもいないのに負かされるのはどうしてもイヤで。今日、戦いの火蓋を切ってみました。宣戦布告してみました。負けが見えてるんだけど、戦わないで逃げ出すよりはマシかなって。 安く売れば、たくさん売れて、すごく売ったような気になって浮かれてしまう。それが「安売りの魔法」。その罠はなかなか抜け出せないよ。そこに何が残るかといえば、異常なまでの疲労感と、虚無感。私も経験したことあるから知ってる。何と戦うのか、誰と戦っているのか、わからなくなるよね。 オトナって、めんどくさい生き物だなぁ。胡散臭い生き物だよなぁ。 まぁアレよね、負けるとわかっていても、戦わなければならないときが女にはあるってことで。宣戦布告したので、もう引き返せない。相当、勇気いった。足が震えた。相手は魔法にかかった魔物だけど、とりあえず ケンカ売っちゃったんで、やってみるべし。 今日もお疲れちゃま。