本との出合いというものはあるものである。宇野亜喜良氏の表紙につられて手に取った本があった。帯に「音楽ミステリー」とある。音楽雑誌の記者が、ミステリアスな雰囲気の美人と出会う。彼女こそが、幻のピアニスト、ジェラール・バローの復活劇の仕掛け人であった。このピアニストの復活をめぐり物語は進行していくのだが、筆者は(まぁ、当然なのだけれど)かなりのクラシックファンで、物語の進行と並行していたるところにクラシックに関する薀蓄が開陳されている。それを読み進むにつれ、「おっ、うん、そうだそうだ」という見解がちりばめられている。コルトーへのオマージュなのだ。本の題名は『神宿る手』、作者は宇神幸男とあった。
この時は、「なかなか面白い」「コルトーを評価するひとがいたんだ」くらいにしか思わなかった。
ところが、後年またこの本が読みたくなっていたところ(前回は図書館で借りたので)、偶然古本屋で同書の文庫版に出会った。読了後、単行本にはなかった解説がついていたので、この作者がどんな人なのか書いてあるかと読んでみた。すると、驚いたことに、この宇神さんという方は、宇和島の南予文化会館職員で、実際に、幻とされていたピアニストの復活をプロデュースし、大成功を収めた方であるという。
このピアニストこそが、コルトーの最晩年の弟子、エリック・ハイドシェックであり、この大成功を収めた復活劇こそが、私家盤ながらベストセラーとなったハイドシェックの宇和島シリーズ(残念なことに現在絶版である)であった。