昨日、お茶の刈り取りを手伝っていただいた方から、こちらの謝礼の返礼にわらびとキャベツをいただいた。また、先日も田んぼの手入れに行った際、隣のキャベツ畑の工作をしている方からキャベツをひとついただいた。何よりの到来モノであり、作ったかたの心のこもっているのがよく分かる。
わたしが育ったのは、地方都市とはいえ農業とは無縁の町場であり、野菜等の農産物とは、スーパーや八百屋さんの店頭に並んでいるものであった。
ところが、主人と結婚し、曲がりなりにも農村に住むこととなった。それまで、店先にならべてあったのものが、地面に生えている。それを収穫して、洗って調理をする、という生活にいきなりなってしまった。ものすごいカルチャーギャップである。おまけに生る量もスゴい。来る日も来る日もナスやインゲンばっかり食べることになる。あ~あ、今日もナスの味噌汁にナスの素揚げだ。いんげんのバタいためもあきたなぁ。でも、食べないと作っている舅・姑に悪いしなぁ。
葱と間違えて玉葱の芽をつんじゃったこともあった。キューりだって地べたに這っているなんて思ってもみないよ。お店でお皿に並んだり、ビニールの袋に入っているのしか見たことなかったんだもの。
今は、稲の生育期で、主人は毎朝水の管理に3枚ある田んぼを回っている。ある日帰ってきて、ふと、(インドネシアの地震のすぐ後だった)、「日本は田んぼがあるから、温暖化の影響を受けにくいんじゃないかなぁ」と、いきなりのたまう。田んぼに水があることで、自然災害がある程度調整されるというのだ。なるほどなぁ。
でも、気になることは、冒頭のお二人の農業者も含め、農業をやっているのは、お年寄りが多いことだ。去る3月まで、土地改良の仕事に携わっていたのだが、そこでお会いする農業者も、ほとんどお年寄りで、子供には自分のあとは継がせられない、と言うし、実際子供さんは家を出て都会に暮らし、日々の仕事に追われ、ふるさとの里山を思い浮かべる暇もない。
実際、カネをかけて行った土地改良事業地であっても、櫛の歯が抜けるように耕作放棄地が点在している。
このままでは、10年も経つうちに日本の農地は半減してしまうんじゃないか、と、とりとめもなく思うこのごろである。