履修暦偽装が燎原の火のように全国に拡がっている。日本の中等教育・高等教育にわたる問題で、根は深い。教育基本法の改正というよりは、国を挙げて人づくり、国家百年の大計を考えて処理にあたっていただきたいと思うが、我が静岡県でも、当の教育長が、前歴の高校長時代この偽装を推進していたと、あっさり白状してしまったのであるから、なにをかいわんや、である。
わたしの高校時代、世界史のN先生は、白皙の文学青年で、世界史の授業にあたって、決まって副読本を熱情的に紹介してくださった。そのおかげで、「司馬遷」や「李陵」、ユーゴ^-の「93年」といった名作に巡りあう事が出来たし、暗記事項の多さに辟易しながらも、世界史に興味が持て、現在の趣味の絵の鑑賞の際も、これはどこの時代の、どんな動きを背景にしているかということが大まかにではあるが、浮かんで来て、わたしの生活を豊かにしてくれている。
N先生は、自分の授業が受験に役に立つ立たない、というレベルではなく、自分の感動を生徒に伝えたいという情熱で授業をしていただろうし、生徒もそれが分かっていたのだと思う。なるほど、わたしは出世はしなかったが、わが人生はずいぶんと豊かなものになっていると思う。
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