|
カテゴリ:読書
当時東京帝大講師となっていた小泉八雲は、明治30年から37年まで、毎年静岡県焼津を訪れ、夏の避暑地として滞在した。 そのと八雲一家が滞在したのが、山口乙吉方で、八雲は乙吉の人柄を大層気に入り、焼津に家まで求めようとしたとのことであるが、明治37年の急逝により、そのことは実現せずに終わってしまったという。 この山口乙吉方の建物は、現在明治村にあり、「焼津にて」「乙吉のだるま」などの作品を生んだ舞台として保存されている。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~ishhide/kerokero5_054.htm 実を言うと、この山口家は、わたしの母の近い親戚であり、若くして母親を亡くしたわたしの母は、乙吉の子供にあたるこの「山乙(やまおと)のおじさん」(代々山口乙吉を名乗っていた)に可愛がってもらい、よく遊びに行っていたそうである。母は60年以上経った現在でも、「山乙のおじさん」と、懐かしげにときどき思い出している。 その母の記憶によると、明治村に残っている「乙吉の家」は、八雲一家が滞在したものとは違うということであるが、どういう経緯で明治村に保存されることになったのか、「山乙のおじさん」が亡くなってしまった今は、知るよしもない。 わたしも、大学に入った年に、母に連れられて「山乙」(かつおぶし問屋をやっていて、そのまま「山乙」を屋号にしていたそうである)の家を訪問したことがある。八雲の横向きの写真や、手紙などが額装して飾られていた。 今年焼津市では、「小泉八雲記念館」が完成し、八雲関係の資料が公開されるという。その中に、この「山乙」での資料も含まれていることだろう。6月20日公開ということなので、母を伴って行ってみようかと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[読書] カテゴリの最新記事
|