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カテゴリ:読書
お恥ずかしい話だが、わたしは八雲の著作は「怪談」しか読んでいない。ただ、母方の親戚の他生のご縁から、八雲という人に昔から懐かしい気持ちを持っているのにすぎないのだが、明治村や松江を訪ねた折に、その遺構がある場所は、ある感慨を持って訪れている。それは、昔を懐かしむ気持ち、母を含めた幼い頃からの自分の生活の中のある部分へ繋がる記憶とでもいうべきものなのだろうか。 だから、松江の「小泉八雲記念館」の隣にある小泉八雲旧居についても、何の学術的な知識も、文学的な背景についての予備知識などもないままの訪いであるので、非常に独断的な見解になるのだが、お許しいただきたい。 松江市北堀町にある小泉八雲旧居は、市の文化施設として公開されている。 http://www.geocities.jp/bane2161/koizumiyakumokyuukyo.htm 10年ほど前に、出張のついでに松江に立ち寄り、隣の記念館の観覧後ここに立ち寄ったときも、ただ「八雲が昔住んでいた家」くらいの認識しかなかった。 しかし、家に入り、観覧が進んでいくうちに、この家がびっくりするほど「和風」であることに気がついた。八雲は、外国人が見るようでなく、日本人が暮らすようにこの家に暮らしたのことがわかってきたのである。この家の特徴にあるように、庭の四季の移り変わりを、その暮らしの中で愛で、生活を楽しんだのである。 かれの日本での作品が少し判ったような気がする。どんな作品でも、それが発生した風土の匂いを持って書かれたものが八雲の作品ではないか。おやとい外国人として、先進国から発展途上国へ来た人間の眼ではなく、その風土に愛着を持って、それを写し取るということが、八雲の作品の根底にあるのではないだろうか。彼が物書きとしての人生をジャーナリストとして始めたことと関係があるのかもしれない。 家も庭もほんとうにすばらしい佇まいであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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